日向国主の城跡、続日本百名城。
佐土原城跡の特徴
日向国主伊東家が築いた歴史ある城跡です。
続日本100名城の中でも特に重要な位置を占めています。
本丸に残る天守は日本最南端のものとして知られています。
日向国主伊東家の居城跡で、伊東四十八城の1つとして都於郡城と並ぶ重要な城だったといわれています。戦国時代、伊東家の最盛期を築いた伊東義祐はここを本拠にしましたが、城内に京都風の豪邸を建て贅沢な生活を送り、領民に重税を課したため支持を失ったことが没落する契機になります。本丸跡までの道のりは大変険しく画像でも分かると思いますが、ほぼ獣道ですw
続日本100名城No.196日本最南端の天守が残る城です✨南北朝~室町前半、日向伊東氏の一族、田島氏がこの地に築城したといいます。その後、日向伊東氏本家が城を奪い佐土原と称しました。この城は天文六年(1537)に焼失しましたが、後に伊東義祐が再建し、「伊東四八城」の中心となりました。
山城へ行くとあちこちで台風の影響か?、土砂崩れで登城出来ないところに遭遇します。今回も大当たりで、本丸跡への登城は諦めかけましたが、迂回ルートがあり助かりました。リトライする場合は1,000km以上の移動が必要だからです。
続日本百名城の196番さどわらじょうと読む。伊東四十八城の一つ。江戸時代には佐土原藩の藩庁。14世紀半ばごろに田島城として建てられたのが始まりで江戸時代には島津氏が治めている。復元された二の丸御殿が見どころ。山については20分も有れば天守跡にたどり着ける。遺構として曲輪や本丸跡地があったのが分かる程度だが、赤色立体地図の看板が所々に立ててあり精力的な保護活動や観光案内の姿勢が感じ取れる。名城スタンプは二の丸御殿(土日)かすぐそばの道の駅(営業時間であればいつでも)にて押せます!
名前 |
佐土原城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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出土文化財管理センター→中の道→あずまや→三層櫓跡→本丸というルートだと比較的まともな道があります(雨の翌日はぬかるみますが)