500年前の戦国の面影、柏原城址。
田波目城跡の特徴
500年前の戦国時代に由来する歴史的な城跡です。
周囲には一部残る土塁があり、遺跡の魅力を感じられます。
自然地形を利用した独特な山上の平坦な地形が特徴です。
東武線の川角駅から城西大学の横を進み、住宅街の端まで行くと城址の説明板が現れます。そこから山道に入り城山配水池に到ると碑が立っています。北条氏の城郭で高麗川の断崖上に築かれた堅牢な城で高麗川まで降りると難攻不落の城であったことを納得させられます。
2020/4/4森の中には確かに土塁のようなものがあるが、ここが城であったことを想像するにはかなりの想像力を要する。
土塁等が残る城跡。案内板があって分かりやすい説明が載っています。
土塁や堀切は一部確認出来たが配水場奥の道は整備されておらず藪が多い。猪も出るので注意して散策する必要あり。
坂戸市教育委員会は 多和目城 としている。古文書等は 田波目城 毛呂城 田波目大かけ城 などが主な名称である。城山は標高113.4m 頂上が平坦で土塁 空堀 腰曲などが遺ります。中世時代 この西方に宿谷という地名が残る。宿谷の滝 宿谷川 そしてなにより宿谷氏の末裔も居られる。この北方の毛呂氏と共に この城を守護したという言伝えが遺る。
500年前の戦国時代、狭山市の柏原地区にも同じように、南側が見渡せる「柏原城址」があります。地形がそっくりです。どちらも小田原城方面が見渡せるので、南からの小田原の北条氏一族を警戒する拠点だった気がします。とすると、当地あたりは、上杉氏の領地か?当地も、そんなに広い場所ではないので、南側の高麗川を見渡す 、警戒・監視の「見張り所」的な感じもします。今から500年前、普段は、ここは数人が交代で、高麗川を警戒していて、いざとなれば近郷の「農兵」(現在の青年団?)らが武具持参で、この場所に、「それ、行け」と参集していたかと思うと、昔の人は大変だったな・・・・・・と思います。ここは坂戸市の水源地井戸もあるので、坂戸市は周辺の環境整備に努めるべき場所でもあります。
ハッキリ言ってよくわからない史跡。
山上が平坦になっていて、自然地形を利用したものであろうが、周囲には土塁が一部残っており、水道施設の建設にあたっても土塁や建物跡が見つかったようです。
頂上がどこかわからない。
| 名前 |
田波目城跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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よくわからなかった😅