歴史を語る安政記念碑。
「大地震津なみ心え之記」碑の特徴
安政南海地震を記録した歴史的な碑が存在する場所です。
深専寺山門脇に位置し、アクセスしやすい史跡として知られています。
避難経路を示す重要な役割を果たしている石碑です。
昔から偉い人はいたものだ。津波の被害を後世に伝えるためにお寺の横に石碑を立てたそうだ。今では津波の恐ろしさは映像として残していくことができるが、江戸時代では口伝ではどうしても風化してしまうのだろう。その点、石に字を彫るのは耐久性の意味では最強のデーター保存方法だ。碑によるとこの地震(寛永7年)の150年前の宝永4年にも大きな地震があって津波の被害があったそうだ。ちなみにお寺の門の反対側にそびえている大木は樫だろうか?捻じれっぷりが見事だ。
嘉永7年(1854年)旧暦11月に発生した安政南海地震の記録(経過と津波による被害状況)を伝えるとともに、後世の人々に対して心構えと具体的な避難経路を示した石碑であり、湯浅の深専寺山門脇にあります。和歌山県指定文化財。よくある災害慰霊碑とは異なり、地震・津波の記録を伝承するための石碑であることが特筆されます。碑文の締め括りには、地震が起きた際には必ず津波が押し寄せるものと認識し、決して浜辺や川筋には逃げず、深専寺門前を東へ向かい、天神山に逃げるよう記されており、現代にも生きる教えであると感じました。150年ぶりの大地震を経験した際、言い伝えだけでは風化してしまうと痛感し、後世に伝えるための手段として石碑を設けた先人たちの判断に敬意を表します。
名前 |
「大地震津なみ心え之記」碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.gsi.go.jp/bousaichiri/bousaichiri41072.html#a_nankai |
評価 |
5.0 |
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安政の頃の記念碑です。大地震があれば、1キロ先の宮まで逃げろというものです。