熊野街道 一里塚の歴史を感じて。
糸我一里塚の特徴
江戸時代初期に築造された貴重な歴史遺産です。
紀州藩による熊野街道の整備に関わる史跡です。
熊野街道の一里塚として重要な文化財です。
熊野街道の一里塚。紀伊藩が整備したと説明看板に有ります。五街道を国道とすれば県道となるのでしょうか?それにしても小さい塚です。元々、9メートル四方有ったとのことですので、気持ちモニュメント的に復元したつもりでしょうか? 地域の子供達が見て「こんなに小さい」と勘違いしなければいいのですが・・・。
| 名前 |
糸我一里塚 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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江戸時代初期に紀州藩が熊野街道の整備の一環として築造した一里塚。当地は和歌山城下から五里(約20km)の位置に当たる。熊野街道を挟んで東西に塚があったとのことですが、東塚は明治初年に撤去され、現存する西塚も道路拡幅などのために削り取られており、解説板には五間(約9m)四方もあったとあるので、ごくごく一部が現存するに過ぎません。隣接する西山浄土宗・得生寺にお参りした際に見学し、道路の舗装面よりも高くなっている様子がよく分かりましたが、後方(西側)の民家が丸見えで少し気が引けました(民家を見ているわけではないのですが…目隠しフェンスがあった方が有難いですね)。