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名前 |
嶽の観音堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
大平山(通称大文字山・焼山)の頂上には、赤い瓦屋根のお堂があり、中に石仏を本尊とする観音像が祀られている。この石仏は外形は笠塔婆をとり、その中に合掌姿の石仏が祀られている。塔婆の表面に「宝永乙酉二年、施主松井氏、一奠営山高、観音太士、石堂願主、普門院、七月十八日」と刻まれている。これは松井氏が寛永14年(1637)に島原の乱に出陣し手柄をたてて凱旋の後、報賽のために祀ったものである。八代郡史には「宮地村字大平山上にあり。本尊は石体にして松井氏の家臣島原陣凱旋の後、報賽の為め勧請せし霊仏にして山上参詣人多く常に香煙絶ゆることなし。」と記されている。この堂の祭が八月末に行われるが、朝早く球磨川や水無川の水を汲んで観音堂にあげると、千日供養し参篭したよりも御利益があるといわれている。古老の話によると球磨の奥地に嶽という所があり、突然火災にあわれて現在の地へ飛んでこられたと言うのである。火災で焼け出され、高いところのため水がなく水が何よりの好物だとされている。境内には、天保時代に建立された、新四国四十八ヶ所の石仏が多数祀られている。『ふるさと宮地』より。