川越喜多院の慈眼堂で、歴史を感じるひととき。
喜多院慈眼堂の特徴
喜多院の境内にある重要文化財、慈眼堂は天海僧正を祀っています。
高台に佇む慈眼堂は、歴代住職の墓所が裏に位置している独特な造りです。
正保2年(1645年)建立の慈眼堂には、木造の天海大僧正像が安置されています。
川越喜多院の境内の中にございます、慈眼堂は、天海大僧正(慈眼大師)の御堂です。徳川家とゆかりの深い川越、そして喜多院、喜多院参拝の折には、外せないスポットでしょう。あわせて、山門横にございます天海大僧正の像と白山大権現にもぜひご挨拶を。東京上野、川越、そして日光東照宮、なかなか表側に出てこない歴史と江戸幕府の御用金の行方はどうなったのか?も垣間見ることができるかもしれません。川越大師喜多院の御紋は丸に引両紋。
喜多院境内のスポットの一つ、慈眼堂。慈眼大師(天海大僧正)を祀るお堂となっていて、内部には天海大僧正の木像が安置されています。建屋の感想としては、本瓦葺の屋根に朱色を挿したお堂となっていて、高台にあることもあって、目を惹きますね。この高台は、仙波古墳群の一つである慈眼堂古墳と称されています。正保2(1645)年に、江戸幕府三代将軍である徳川家光の命により建立されたこちらのお堂は、昭和30年度に改修工事が行われたものの、当時の姿を今に保ち続けている国の指定重要文化財となって今日に至ります。
喜多院中興 慈眼大師天海を祀る堂宇で重文天海遷化の三年後に家光の命令で建立もう少し綺麗にした方が良い。
喜多院の境内にある慈恵堂。比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつる堂宇。大師堂、潮音殿と呼ばれることも。喜多院の本堂として機能し、中央に慈恵大師、左右に不動明王をお祀りしています。県指定有形文化財となっています。
階段を上った所にある重要文化財。歴代住職のお墓もあり。紅葉の時期は美しいです。
喜多院慈眼堂〒350-0036 埼玉県川越市小仙波町1丁目20-1慈眼堂から少し離れると、宝珠まで見ることができます。慈眼堂天海僧正は寛永二十年(一六四三)十月二日寛永寺において入寂し、慈 眼大師の諡号をおくられた。そして三年後の正保二年(一六四五)には徳川家光の命によって御影堂(みえいどう)が建てられ、厨子に入った天海僧正の木像が安置されたのが、この慈眼堂である。一名開山堂ともよび、桁行(けたゆき)三間(五.四五m)、梁間三間で、背面一間通庇付(はいめんいちめんとおしひさしつき)の単層宝形造(ぼうぎょうつくり)、本瓦葺となっている。宝形造は、四方の隅棟(すみむね)が一ヵ所に集まっている屋根のことで、隅棟の会するところに露盤(ろばん)があり、その上に宝珠が飾られている。平成三年三月埼玉県教育委員会川越市教育委員会重要文化財・建造物文化財建造物につき千社札の貼り付けをお断りします貼り付け指定場所があります寺務所にお問い合わせ下さい。
喜多院 慈眼堂国指定重要文化財(建造物)喜多院境内の小高い丘の上には、天海僧正をまつる慈眼堂(じげんどう)が佇んでいます。この慈眼堂は、天海僧正が亡くなった3年後の天保2年(1645/江戸時代)に、徳川家光の命令により建てられたもの。国の重要文化財の指定をうけています。建物の構造は、桁行(正面)3間、梁間(奥行)3間、背面は1間で庇がついています。シンプルながら趣を感じる建物です。(カワゴエールHPより)
天海僧正は1643年上野寛永寺において他界。慈眼大師の諡号をおくられた。1645年、徳川家光の命によって御影堂が建てられ、天海僧正の木像が安置されたのが、この慈眼堂です。国の重要文化財に指定されています。
重要文化財建造物、天海僧正の木造安置。
| 名前 |
喜多院慈眼堂 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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天海僧正(慈眼大師)の御影堂で木像が安置されているそうです。江戸時代初期の天保2年(1645年)に古墳の小高い丘の上に建てられたそうです。