紀三井寺周辺の歴史を感じて。
紀州藩塩田跡の特徴
紀州藩の塩田に残る写真が楽しめる史跡です。
江戸時代には特に塩の供給源として知られています。
古代からの製塩の歴史を感じられる場所です。
和歌川下流一帯では古代より製塩が営まれていたとされ、江戸時代には「他所に比例するものなし」として紀州藩の内外に供給されたという。明治時代末期までは見渡す限りの塩田が広がっていたというが、明治42年(1909年)に紀三井寺競馬場が開設されるなどして姿を消した。昭和63年(1988年)の競馬場廃止後、和歌山市七番丁にあった和歌山県立医科大学が跡地に移転し、現在に至っている(航空写真で見ると競馬場の外周がほぼ残っていることが見て取れます)。なお、このように塩田跡の記念碑はありますが、競馬場跡であることを示す案内板などはありません。
| 名前 |
紀州藩塩田跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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紀州藩の塩田に関し、撮影された最古の写真は、おそらく紀三井寺からキヨッソーネたちが当時の大型カメラで写して出版された「国華余芳」の写真帖(全5冊:西暦1880年・明治13年)に掲載されたものとなります。その後、絵はがきなどにも塩田の様子が示されるようになりました。「国華余芳」の写真では旭橋もまだ無く、当然、路面電車の開通よりもずっと前の話です。