西の松原に佇む平清盛神社。
清盛神社の特徴
厳島神社の近くに位置し、松原の海べりにあります。
平清盛を祀る神社として人気があり、多くの参拝客が訪れます。
宮島の大鳥居を目指す途中、海岸通りにひっそりと佇んでいます。
1550.2023.09.15宮島の西の松原の先端付近に鎮座でした 。厳島神社 の華やかな回廊とは違って静かで余韻のある空気が漂っておりました 。観光客の多い表参道や大鳥居周辺からはちょっと離れているので人通りも減って落ち着いた雰囲気でありました 。厳島神社さん の末社となっておりますが、こちらの御朱印はありませんでした 。明治時代初頭に宮島内にある小さな祠などは政府からの命令によって全て 三翁神社さん にまとめられ、平清盛の祠も右殿に祀られましたが平清盛の没後770年の節目にあたり、記念として三翁神社さん から平清盛の祭神を遷座して1954年 (昭和29) に創建をされたそうです 。1168年 (仁安3) 厳島神社さん を寝殿造風の海上社殿へ大改修・造営をした平清盛ですがこの 三翁神社さん も平清盛が 平安後期に山王社 (現、日吉大社) から御祭神の御分霊を勧請をして造営がなされたそうです 。
清盛神社は、宮島桟橋の南西1.4kmほどの広島県廿日市市宮島町に鎮座している神社です。元々は平清盛の御霊は、宮島内にある三翁神社(さんのうじんじゃ)に、妻の平時子(二位の尼)や孫の安徳天皇らとともに合祀されていました。しかし、昭和27年(1952年)に清盛公没後770年を迎えたことを機に、宮島の人々の間で「清盛公を単独でお祀りする神社を建て、その遺徳をより深く称えよう」という気運が高まりました。これを受けて分祀が行われ、昭和29年(1954年)に現在の社殿が完成しました。平清盛が宮島にここまで深く崇敬される理由は、彼が厳島神社を現在の壮麗な姿へと生まれ変わらせた張本人だからです。久安2年(1146年)に安芸守に任官した清盛は、瀬戸内海の制海権掌握や日宋貿易の拠点確保といった戦略的理由から、宮島の地理的価値に注目しました。仁安3年(1168年)当時の最先端デザインであった「寝殿造り」を大胆に取り入れ、海の上に浮かぶ独創的な海上社殿へと大規模に修造しました。清盛による厳島神社への篤い信仰と庇護によって、平家一門は栄華を極め、それと同時に宮島も信仰と文化の中心地として広く知れ渡るようになりました。宮島の繁栄の基礎を築いたのは、まさに平清盛であると言えます。清盛神社が建つ西松原(にしのまつばら)と呼ばれる細長いエリアは、江戸時代初期、背後の紅葉谷川から流出する土砂を防ぐ防波堤・堤防として造営され、松が植えられたことで形成されました。松並木と石灯籠が美しく並ぶ風情ある通りであり、厳島神社の大鳥居や社殿、さらには五重塔や千畳閣を一望できる絶好の展望スポットとなっています。昭和に建てられた社殿は、一間社流造り・桧皮葺き・丹塗りの美しい建築で、平成29年(2017年)には屋根や塗装の大規模な改修工事が行われ、往時の鮮やかな朱色が蘇りました。現在でも、清盛の命日とされる毎年3月20日には「清盛神社祭」が執り行われます。また、これに前後して、平安時代の衣装を身にまとった一行が島内を練り歩く「宮島清盛まつり」も開催されており、宮島の人々と平清盛の結びつきを今に伝える大切な文化として受け継がれています。平清盛(1118〜1181年)は、父の忠盛の後を継ぎ、1156年の保元の乱と1159年の平治の乱で勝利を収め、武士としての地位を確立しました。その後、急速に出世を遂げ、1167年には武士として初めて太政大臣に就任します。娘の徳子を高倉天皇に嫁がせ、生まれた親王を安徳天皇として即位させることで、外戚(天皇の親族)として強大な権力を手に入れました。平氏の一族で高官を独占し、「平氏にあらざれば人にあらず」と言われるほどの栄華を極めます。日宋貿易に力を注ぎ、大輪田泊(現 神戸港)を修築して清盛自らも巨万の富を得ました。また、瀬戸内海の航路を切り開き、厳島神社を深く信仰して壮麗な社殿を造営しました。急速な勢力拡大は貴族や寺社勢力の反発を招き、後白河法皇とも対立します。1180年に源頼朝らが挙兵する中、清盛は福原(神戸)への遷都を強行しますが失敗に終わります。翌1181年、平氏の行く末を案じながら高熱で病死しました。彼の死後、平氏は一気に衰退し、壇ノ浦の戦いで滅亡へと向かいます。
厳島神社を建立した平清盛をお祀りしているのに小さなお社です。海沿いの松原にあるので、海を見ながら一息つくには良い場所ですが、近くにめぼしいスポットも無く寂しい。
青春18きっぷ、3日目。仕事をちょっとだけ早仕舞いし、宮島へ。「清盛神社」を参拝。人もまばらだけに、御利益ありそうじゃのう👍清盛公の没後770年の昭和29年に建立とのこと。
宮島を歩いている途中で、清盛神社にも立ち寄ってみました。正直なところ、事前にあまり詳しく調べていたわけではなく、「せっかくだから行ってみよう」という軽い気持ちでした。行ってみると、人もそれほど多くなく、海がすぐそばに見えてとても静か。にぎやかな観光地の雰囲気とは少し違って、ほっと一息つける場所だなと感じました。平清盛公を祀っている神社と知り、「昔の人はすごいなあ」と単純に感心。歴史の詳しいことは分かりませんが、こうして今も大切にされている場所に立てたことだけでも、何だかありがたい気持ちになりました。派手さはありませんが、ゆっくり歩いて、静かに過ごすにはちょうどいい場所。神社の近くの川にはカルガモ?がたくさんいて、反対の海側に目を移すと鹿が海岸線を散歩していてとっても和みました!
宮島の「清盛神社(きよもりじんじゃ)」は、平清盛の没後800年を記念して1954年(昭和29年)に創建された、比較的新しい神社で、静かで穏やかな空気感が魅力です。
「武士の身分であって日本の歴史上はじめて政治の最高権威である太政大臣に任命され、厳島神社を援助し大きくさせた平清盛公を神様として祀る神社」平清盛(1118~1181)は今の三重県津市にて有力家である「伊勢平氏」の棟梁である平忠盛(1096~1153)の嫡男として生まれました。有力な武家である平氏の棟梁として父からその座を継いだ後に同じく武家でライバルであった源氏を保元の乱(1156年)と平治の乱(1159年)で破り、当時の77代天皇である後白河天皇(1127~1192)の信頼を勝ち取り「太政大臣(現在の総理大臣に値する役職)」の地位を承り史上初めて武家政権を立ち上げた、政策においては当時の中国にあった宋王朝と交易を盛んに行い平家はいちやく大金持ちとなったほか厳島神社の整備にも熱心に取り組んだ、「平家にあらずんば人にあらず」という言葉が生まれたのもこの頃である、しかしそのようなやり方は反発を招きとうとう源氏の残党らが源頼朝を総大将に関東で挙兵、清盛は討伐を準備するもそのさなかに病気に倒れ京都で亡くなりました、平家はその4年後に源氏によって滅ぼされてしまう。この神社は清盛公没後770年にあたる1952年に平清盛公の功績をたたえ清盛公を祭神として建立されました、毎年3月20日(この日は1181年に平清盛が亡くなられた日でもあります。)に例祭が開かれるそうです。
清盛神社⛩️ひっそりとある神社🙄清盛神社は、厳島神社の末社です。名前の通り、平清盛公をお祀りしています。もともと、清盛公は安徳天皇、二位の尼とご一緒に、三翁神社にお祀りされていました。けれども、没後七百七十年の節目にあたる、昭和二十七年 (1952)にその功績を称えようということになり、二年後に創建されました。つまり、建物的には比較的新しい神社となります。平清盛公は厳島神社とゆかりの深い人物であり、このお方がおられなければ現在のような厳島神社は存在していなかったかも知れません。その意味で、地元の方々に崇敬されており、神格化されたものと思われます。だそうです。あまり人も居ない。静かに参拝出来る。とても落ち着く空間を満足出来ますね。こちら辺から見る大鳥居も良いですね。癒されました!
2025.11.8参拝厳島神社より水族館側にある海辺に近い神社さんで平清盛を祀っています。こちらは御朱印はありません。
| 名前 |
清盛神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0829-44-2020 |
| HP |
http://www.itsukushimajinja.jp/setumatusya.html#setumatusya07 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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神社そのものは明治創建で新しいが、ここまでの道中から見る厳島神社⛩️が近くて迫力あります。