千々石ミゲル夫妻、時を超えた信仰の地。
千々石ミゲル終焉の地の特徴
千々石ミゲル夫妻の墓所として正式に認められた史跡です。
遥か昔の信仰の道をたどり、安らぎを感じる場所です。
クアトロ・ラガッツィの影響で訪問した人も多い歴史的スポットです。
調査により、千々石ミゲル夫妻のものと断定されている墓所。伊木力と呼ばれる静かな集落にある。諫早市の市指定遺跡に2024年定められた。訪問者によるノートへの書き込みを拝見すると、それぞれの思いと目的をもって、全国からここを訪ねている人が多くいることが分かる。自然と千々石ミゲルと対話している気持ちになる。
長い研究調査の結果正式に認められたようです。シッカリと整備もされています。以下引用させて頂きました。千々石清左衛門の墓よみがなちぢわせいざえもんのはか指定区分市指定史跡指定年月日令和6年12月14日所在地諫早市多良見町山川内字ケンノキ59解説被葬者の戒名を刻んだ地上の墓石、地下の埋葬遺構、副葬品、人骨という、墓を構成する要素のすべてがそろった江戸時代初頭(禁教期)の非常に貴重な遺跡。江戸時代初頭における長崎県央地域の埋葬習俗を具体的に知ることができる墓地遺跡。墓石に刻まれた男女二人の戒名と裏側に彫られた「千々石玄番」という人物であることから、埋葬された被葬者は天正遣欧少年使節の1人である千々石清左衛門ミゲル夫妻である可能性が高い。天正遣欧使節の4人のうち、墓地が具体的に判明しているのは千々石清左衛門ミゲルのみである。 (江戸時代)
遥か昔 遠く離れたヨーロッパまで信仰のために訪れた青年たち…選ばれて誇らしい気持ちまだ見ぬ異国の地や人に心弾むことばかりではなかったと思いますが信仰心ってすごいですね… だから戦争も起こってしまうけど 難しい無事長崎に帰ってこられ安堵されたことでしょう お帰りなさいその後いろんなことがあられたようですがふたりいっしょに安らかに眠られてます🙏
クアトロ・ラガッツィ(若桑みどり著)を読んで以来、訪問したかった場所。若桑さんが生きていたら、感慨深い新たなエッセイでも書いてくれたことでしょう。読みたかった。他の方の写真にもあるように、東屋が作られており休憩もできます。長崎総合科学大学の研究室が準備されたのでしょうか、感謝。
千々石清左衛門の墓「〜と思われる石碑」ではない。「千々石ミゲル終焉の地」ともなっています。静かで景色のいい場所です。煉瓦造りのトンネルも素敵です。
千々石ミゲルは棄教した、という説が長らく有力でした。近年の発掘調査の結果、歯の近くにロザリオが見つかり、その死まで信仰を密かに守り続けていたのではという新説が浮上しています。出土された遺品の一部は、ミゲルが生まれた釜蓋城跡(雲仙市千々石町)に改葬され、「千々石清左衛門供養碑」が令和4年に建立されました。棄教後、大村喜前公に仕えますが、やがて関係は悪化。失意のうちに、ここ伊木力で亡くなったと言われます。当地では、墓石は大村を睨みつけるように建立されたとの言い伝えがあるそうです。
| 名前 |
千々石ミゲル終焉の地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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帰省に合わせてお参りに。のどかな風景にほっこり。伊木力みかんの有名な地域です。