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名前 |
八幡河原庚申塔群 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
5.0 |
八幡河原庚申塔群八匹原公園の登り口にある文化財。市指定有形民俗文化財、平成13年10月11日指定。この庚申塔群は宮野区から田野区へ通じる八幡河原への降り口にあったものを道路改良のためこの地に移設したものだそうで、宇目地域にたくさんある文字庚申塔群の形式がほとんどここに凝縮されているそうです。大きいもので高さ2m、幅75cm、高さ1.5m以上あるものが11基もあり重量感にあふれ圧巻の石碑群です。特に1か所に33基も大量にある所は極めて珍しく、大分県下でも例がほとんどないそうです。石碑には珍しい字を刻んだ庚申塔もあり、隠れキリシタンが信仰の対象物として礼拝したのでは、と推測されるものもあるそうです。庚申塔とは、江戸時代から昭和初期まで続いた「庚申信仰」により建てられた石塔です。庚申信仰は古代中国の思想・宗教である「道教」の影響をうけた民間信仰で、人間の体内には三尸(三匹の虫)が住んでいて、庚申の日の夜、人が寝ている間に体内から抜け出して、その人の罪を天の神に告げることで早死にさせてしまうので、庚申の夜は眠らず徹夜した、というもの。日本の昔の暦では、60日に一度「庚申の日」があり、江戸時代ごろから広く庶民の間で、地域ごとに庚申講という会合があり、庚申の日の夜明かし行事「庚申待」を行っていた。庚申待を3年連続行うと、供養やご利益、記念等の目的で庚申塔が建てられた様子。この庚申待は、江戸時代から昭和初期くらいまで続いたようです。庚申塔には、青面金剛像や猿田彦大明神などの姿や文字が彫られたものが多いようです。