妹背の滝から歴史を感じる。
妹背の滝から西教寺辺りまでは「滝ノ下」と呼ばれています。第二次長州征伐(四境の役)の一つ、芸州口の戦いの際、幕府軍である、紀伊藩、彦根藩は西教寺に本陣を構え、慶応二年(1866年)六月十二日に幕府軍が大竹村を目指して通過した時から八月八日に幕府軍が長州藩に敗れて撤退するまでの約二ヶ月、この辺り滝ノ下は、四十八坂とともに激戦地でした。その時に戦死した多くの戦士を敵味方なく祀った塚が千人塚です。場所は大頭神社に向かう道の途中にある民家の畑の裏側にあり、分かりにくいです。
名前 |
長州戰爭史跡 千人塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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江戸幕府が、天皇を中心とし外国を打ち払う尊皇攘夷を掲げた長州藩を征伐するために起こった長州征討。元治元年と慶応2年の2度に渡り起こったこの戦争の中で、廿日市大野の滝の下付近と四十八坂は激戦地となりました。慶応2年(1866)6月12日から、8月8日に幕府軍が敗れ退却するまでの2ケ月間、この地で何度も激戦が繰り返されたといいます。紀州新宮藩士 橋本角兵衛など無念にもこの地で散った藩士たちは、この戦いで戦死した多くの無名の戦士たちと同じ場所(大頭神社の入口)へ葬られ、千人塚として幕末の動乱の歴史を静かに今に伝えています。