古墳の魅力、時を超えたエンタメ!
二ツ塚古墳の特徴
4世紀後半から5世紀前半に築造された歴史ある古墳です。
墳丘の長さは約110メートルと壮大な規模を誇ります。
地元の豪族と応神天皇陵の歴史的関連性に注目できます。
最高のエンタメです。
4世紀後半から5世紀前半頃の築造と推定されている墳丘長約110メートルの前方後円墳。二ツ塚古墳築造後に応神陵が築造されたようですが、応神陵は、何故こちらの古墳を巻き込むような感じにしなければいけなかったのか謎ですね。場所にこだわりがあったのか…?近くで見ると、2基の古墳の合体感がすごくてわかりにいですが、高台から、例えば玉手山公園付近から応神陵を見ると、違いがよくわかりました。 追記 テニスコート内にあり、撮影出来ていなかった案内板の写真を投稿しました。
地方豪族の古墳で、応神天皇陵設営の際も壊せなかった。
昔は応神天皇陵の一部(外堤)だと思っていた。古墳がそこにあると聞いて、あらためて地図で確認してみると結構でかい。応神天皇陵の陪塚にしては、ずいぶんりっぱな古墳だと思った。で、きちんと調べてみると、応神天皇陵よりも、前に造られた古墳のようなことが書かれていた。いったい、ここに葬られている人物は、どんな人だったんだろう?
名前 |
二ツ塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.4 |
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テニスコートがあり、近づいて写真を撮る事ができません。「応神天皇陵古墳」とテニスコートの金網に大きく書いてありますが、目の前に見えるのは応神天皇陵の堤上にある二ツ塚古墳だという点誤解しない様にしてください。墳丘長110mで後円部直径73m、同高さ10m、前方部幅60m、同高さ8.6mの前方後円墳です。先に言った通り応神天皇陵の堤上にあって、この古墳に合わせて応神天皇陵古墳の堀の形も歪になっています。また、宮内庁は陪塚としていますが、応神天皇陵古墳よりも先に築造された事が分かっていて、応神天皇よりも先に亡くなり、また、応神天皇と何らかの深い関わりがあった人物が埋葬されていると考えられます。