小佐々城跡で歴史探訪。
多以良の小佐々氏墓所の特徴
戦国領主小佐々氏の本拠地として重要な史跡です。
中世の典型的な城郭遺構が多数残されています。
小佐々水軍に関連する歴史的な城ノ辻があります。
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もう少し整備してほしい。
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| 名前 |
多以良の小佐々氏墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0959-37-0079 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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【戦国領主小佐々氏と多以良】—大瀬戸町多以良一ここ多以良は、五島灘海域を領有支配して小佐々水軍とよばれた戦国領主小佐々氏の本拠地で、北方二百米にある要害堅固な城ノ辻は小佐々水軍の本城「小佐々城」あとで、山頂には 本丸、二ノ丸、弾正丸などの曲輪跡が、また周辺五ヶ所には居館群跡がある大規模な平山城で、中世の典型的な城郭遺構である。小佐々城の西方一軒にある烽火台「高帆山」は、本城からの情報を出城に伝える司令塔であり、また東方の山中にある巨大な権現岩は小佐々氏一族の祖神とされ、その奥には出城であった城ノ尾城跡がある。「多以良の小佐々氏墓所」は、天正遣欧少年使節で有名な中浦ジュリアンの父親小佐々兵部少輔甚五郎純吉らを祀るキリシタン時代 の古廟である。【長崎県指定史跡 多以良の小佐々氏墓所】この墓所は、永禄十二年(一五六九)に宮村(佐世保市)の「葛の峠の合戦」で大村純忠が、後藤貴明・松浦鎮信の連合軍との戦いの際、純忠を援けるために奮戦討死した、多以良の領主小佐々弾正純俊とその甥の中浦の領主小佐々甚五郎純吉の武勇と戦功 を称えて建立された墓所と伝えられる。この墓所は、以前から「純吉様」と呼ばれているが、その昔は「純俊様」であったものが「純吉様」 になり、昭和の初期に「住吉神社」と改称されたものである。この墓所にある正面の切石平塚とその後方の二基 の石積みの墓は、日本の墓碑としては極めて珍しい特異な様式であり、また大小二基のキリシタン墓地(屋根型墓)の保存状況も良好なことから貴重な史跡として、平成二年十二月十六日に、長崎県文化財に指定された。平成三年三月 大瀬戸町教育委員会。