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名前 |
牛田公園通り 道路愛称説明版 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
説明文より牛田公園通り昭和二十年八月六日原子爆弾は、広島に壊滅的な打撃を与え爆心地からニキロの牛田も被害を受けた。南一丁目、本町一~五丁目の京橋川沿いは火災が発生、家屋の倒壊・破損の被害を受けた。負傷者、避難者は市中心部からもどっと押し寄せ、町全体は瓦礫と被災者でいっぱいになり、その避難者は、牛田の山にまで及んだと言う。不眠不休の救護のかいもなく多くの人が苦しみ死んだ。生き残った人が死体を牛田公園へトラックや大八車で運び、穴を掘り土葬や火葬に伏した。その火は十日も二十日も絶えることなく夜空を赤々と焼き照らし、死臭はその年の末まで消えなかった。遺骨は公園の東側に埋葬し供養塔を建てた。その後、昭和二十一年七月に平和公園の原爆供養塔に納骨した。毎年八月五日には、公園内の慰霊碑前において犠性者の御霊を弔うため、牛田地区社会福祉協議会主催で、原爆死没者追悼式典が行われていることから「牛田公園通り」と道路愛称を名付けた。平成二十六年三月牛田学区社会福祉協議会作成。