広島壊滅の第一報発信地。
中国軍管区司令部軍人・軍属・動員学徒慰霊碑の特徴
原爆投下後の第一報を知らせた貴重な史跡です。
撮影や歴史散策に最適な、手で触れる焦跡があります。
第二次世界大戦時代の司令部跡で、重要な役割を果たしました。
「中国軍管区司令部軍人・軍属・動員学徒慰霊碑」は、広島城址公園内(広島護国神社の東側)に静かに佇む慰霊碑です。この碑は、1945年8月6日の原爆投下によって、この地で犠牲となった軍人や軍属、そして通信業務などに動員されていた学生たちを悼むために建立されました。当時、広島城内には中国軍管区司令部などの軍事施設が集まっていたので、多くの兵士や職員が勤務していました。また、深刻な人手不足のため、10代の学生たちが通信業務や建物疎開(空襲の延焼を防ぐための家屋解体作業)に駆り出されていたそうです。
広島の被爆を他の地域へ知らせた場所です。動員学徒の女学生が、被爆の一報を通信したそうです。被爆の史跡です。ここで亡くなられた形の慰霊碑もあります。
原爆被災説明板 No.31 中国軍管区司令部 防空作戦室-----説明文より-----中国軍管区司令部 防空作戦室(爆心地から約700メートル)広島城とその周辺には、多くの軍事施設(中国軍管区司令部など)があり、ここには半地下式の防空作戦室が設けられていた。ここでは、多くの軍人、軍属に混じって、学徒動員された比治山高等女学校の女学生たちも働いていた。原爆で、市内の電信電話は破壊されたが、かろうじて残ったここの軍事専用電話を使って、女学生が広島の壊滅を通信した。これが、広島の原爆被災の第一報と言われている。(被爆後の防空作戦室周辺、1945年10月 米軍撮影)
原爆が投下された後、かろうじて生きながらえた女学生が、ここの軍事専用電話で、広島の壊滅を通信した。と記されています。それが広島の原爆被災の第一報だと言われています。合掌。
広島城の片隅に、軍事施設の遺構がありました。半地下式の防空作戦室との事です。原子爆弾が投下された後、かろじて残ったここの軍事専用電話を使って、女学生が広島の倒壊を通信した。広島原爆被災の第一報と言われている。(説明書きより)当時の悲惨な出来事を想い、手を合わせました。
2023.5訪問中国軍管区司令部防空作戦室(爆心地から約700メートル)◆「広島壊滅」の第一報を発信した場所。説明板によると広島城とその周辺には多くの軍事施設があり、ここもその一つ。半地下のつくりで学徒動員された比治山高等女学校の女学生が働いていた。原爆で市内の電信設備が破壊される中、半地下施設であるここから、女学生が「広島壊滅」の第一報を発信したと。自分が生まれ育った町が一瞬にしてなくなった事をどのような気持ちで発信したのだろうか。と思うとこみ上げてくるものがあります。
2016/10/23来訪。広島城を中心とする基町一帯は、軍の施設が集まる一大軍事拠点で、その中心ともいえる中国軍管区司令部の庁舎は広島城の本丸と二の丸に置かれていました。原爆により、軍関係者のほか、通信業務に動員されていた比治山高等女学校の生徒・教員も犠牲となりました。碑の横には、同女学校生徒が広島壊滅の第一報を発信した中国軍管区司令部防空作戦室跡が残っています。
原爆投下後に第一報を知らせたとされる通信隊が設置されていた場所護国神社参拝と合わせ慰霊を捧げて頂きたい場所。
被爆当時のものがそのまま残っている貴重な史跡です。
| 名前 |
中国軍管区司令部軍人・軍属・動員学徒慰霊碑 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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戦争中の軍の地下司令部跡です。表に出ている一部分は原爆でボロボロです。