徳川家康が立ち寄った名所で、歴史を感じるひとときを...
茶堂の特徴
徳川家康が立ち寄った歴史的な場所です。
川越から岩槻へ向かう途中の小休止地点です。
伝説が息づく史跡として魅力的なスポットです。
茶道は余り手入れがされていない様に見える。また、茅葺きの屋根にトタンを乗せているだけであることに気が付いた。現地案内板によれば、この道を通った家康が休んだところで、地元の人がお茶を振る舞ったことから「茶堂」と呼ばれるようになったとか。江戸末期には、寺子屋になっており、ユニークな先生がいたとされている。境内には寛政十二年銘の敷石供養塔があるが、これは交通量の多かった川越道(このお堂の前の道)に敷石を敷いた記念に立てたものだそうだ。もちろん、現在は舗装道路になっており、見る影はない。
家康ゆかりの茶堂(観音堂)と伝わります。今まさに前の道の大宮駅前通りの拡幅工事中で、これ以上削られることはないかと思いますが、荒廃する一方で残念です。以下に、説明看板の内容を記します。歴史散歩コースー三橋ー 茶堂 ここは三橋2丁目です 堂内に千手観音像が祀られているので観音堂が正式名称ですが、昔から「茶堂」と呼ばれ親しまれています。前の道を東に向かうと与野・大宮・岩槻、西は川越へ至ります。この道を通った徳川家康が疲れて当地で小休止したところ、里人が渋茶をふるまい、喜んだ家康がここを茶堂と名付けたという伝えがあります。 茶堂は並木村萬福寺持の観音堂で、同寺第24代の儀明和尚が江戸時代末の嘉永〜安政頃に寺子屋を開いていました。江戸近郊の当地は、与野・川越を通して商品流通が多く、”読み書きソロバン”が必要とされていました。和尚は「天下一のぼろ先生、仮名さえ読み兼ね随時入門」の木札をかかげ、ときには宝生流の謡曲を教えるユニークな先生で、”茶堂先生”とも呼ばれていました。村の文化人で、人々に愛されて尊敬されていたことと思われます。 かつては県道幅も狭く境内が広かったので、庭で野球をしたり、雨の日には堂内で遊んだりと年配の方にとっては思い出の多いところです。敷石供養塔は近在85ヶ村の協力により、通行量の多い川越堂に敷石をした記念に、寛政12年(1800)に建てられたものです。川越・岩槻を結ぶ道の重要度が伺い知れるものです。 さいたま市教育委員会 生涯学習部文化財保護課。
とてもボロい古い家。
あまり手入れがされていない。
ここには徳川家康が、川越から岩槻へ向かう途中、小休止に立ち寄ったという言い伝えがあるそうです。この場所の少し西方にも、荒川(現びん沼川)を渡るための昼間の渡しという家康ゆかりの場所があります。
| 名前 |
茶堂 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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This tiny place is name by the first shogun Ieyasu-Tokugawa. Sado.