八丈小島の美しさを讃える石碑。
八丈小島忘れじの碑の特徴
1969年に無人島となった八丈小島を記念する石碑です。
碑文がある海岸から美しい小島が眺められます。
2014年に有志と東京八丈島ライオンズクラブが建立しました。
2024年8月7日に訪れました。2014年に離島45周年の節目に建てられた碑であることが、碑文から分かりました。昭和44年1969年3月に全島民が離島した時の記録映像をNHKのアーカイブスで見ました。宇津木には、源為朝が切腹したという伝説も残っていると聞いています。海を挟み、碑の向こう側に八丈小島が、綺麗に見えます。
南原千畳敷(の隣り?)に有りますので、千畳敷に行った際はお立ち寄り下さい。
碑文がある海岸から小島が綺麗に見えた。
(2022/09) 1969年3月全島民約70人が離島し無人島となった八丈小島を記念し、旧島民など有志によって2014/11/2に建立された。島の横顔に似た形の石材を使用。
| 名前 |
八丈小島忘れじの碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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この石碑は2014年11月に八丈小島を偲ぶ有志と東京八丈島ライオンズクラブによって建立されたものです。八丈小島は八丈島の西約7.5㎞にある無人島です。島内にあった神社の縁起からは1600年代初頭にはかなりの住人を抱えていたことが伺われます。そして最盛期には500人程度の住民が居住していたようです。しかし1969年3月に全島30世帯93人が離島し、現在定住者はいないのです。離島の理由は「八丈本島と比べた生活水準の格差」だったと伝えられます。ところで極言かもしれませんが、明治期以前の日本は自己完結型の社会でした。江戸・大阪と言った大都市は別として、地消地産が原則の生活だったのです。食料品を始め必要物資のほとんどを自給し、不足するモノは現金収入で得たわずかばかりの金銭で購入する。そして仕事は「Family business」のみ。こんな生活が昭和初期まで続いたと考えられます。しかし戦後、ガス水道などのインフラが大都市周辺から充実してきます。大都市を中心に「職業選択」の自由度が高まり、大都市圏では現金収入が増加します。結果周辺部との生活水準の格差が顕著になります。同時にラジオ・TVなどのマスコミによってその格差が周知されることになります。八丈小島の全島離島もこういった流れの一環だったのではないでしょうか。ところで2010年の日本国過疎地域面積は216,000㎢で国土の57.3%、2022年のそれは238,762㎢で63.2%でした。この10年ちょっとで10%以上も拡大しているのです。特に島嶼ではこの傾向が強く、いずれ無人化するであろう島も少なくありません。そうなると不法占拠の可能性が出てきますよ……うまい「人口分散計画」はないのでしょうか?2025.5.16