名前 |
臥牛城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
津江一帯を治めていた津江氏だが南北朝時代には周囲を北朝・南朝に囲まれており、生き残るために津江氏は家を2つに分けた。元々の本城であった雪ヶ岳城を北家の口津江、ここ栃木の田原山の牛ヶ城を南家の奥津江とした。(『豊後全史』より)長谷部系図・豊西説話・豊後国志・諏訪縁起などで津江氏6代だったり14代だったり、分けた理由が違ったりするらしい。南朝菊池氏の庇護する大智禅師に伝来寺などを寄進したのも南朝に恭順する行動の一環だと思われる。