名前 |
開鑿記念碑(辻の坂) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
辻の坂は1913年(大正2年)、村田虎吉の尽力で第1期が始まり約5M削り下げられ往來が少し楽になったそうです。その功績をたたえた記念碑が坂の途中に建てられている。その後、公共の工事として❳第2期1925年頃2M切り下げられ第3期1951年(昭和26年)3M切り下げられ両側も削って拡幅され今日の形になり、国道2号線が開通するまで主要山陽道の役目を果たした。村田虎吉の功績福山城の東堀端を埋めて両備鉄道の駅舎にするという話が持ち上がって、駅舎をつくるには堀を埋める必要があり、それにはかなりの土砂がいる。村田虎吉は深津高地の土を運搬すれば一挙両得であると判断、まず深津村長に相談して賛同を得、快く援助を約束してもらった。両備鉄道の河合社長も虎吉の意見をとり入れ大正2年4月8に起工虎吉自ら監督に当たり、1年1ヵ月の間寒暑の中も休まず、鶴はしで土を掘り下げ、大八車に土を積んで全て人力で2キロの道を運搬したのである。大正3年5月には東堀が完全に埋められ新しい駅舎が建ち、7月には両備鉄道が開通した。追記豆知識 Oxford Languageの定義開鑿[かいさく]とは山野を切り開いて道や運河を通すこと。開鑿の漢字は明治時代・大正時代・昭和[初期]時代に使われてていたが、現在では開削の文字の使用が多い。