一須賀古墳群で歴史旅。
一須賀古墳群の特徴
南河内地方最大級の古墳群で、圧倒的なスケールを誇ります。
6世紀前半から7世紀中頃の歴史的な遺産が広がる場所です。
近つ飛鳥博物館に隣接し、古墳巡りに最適なロケーションです。
近つ飛鳥風土記の丘にある、南河内地方で最大級の古墳群。国指定史跡です。以下、案内板全文を引用。~~~~~~~~国指定史跡 一須賀古墳群(いちすかこふんぐん)(平成6年10月7日指定)一須賀古墳群は、大阪平野の東南部、南河内郡河南町・太子町にまたがってひろがる群集墳です。 およそ1.5km四方の範囲に70基あまりの古墳が、23のグループ(支群)に分かれて分布しており、八尾市高安古墳群、柏原市平尾山古墳群とならぶ河内の三大群集墳のひとつにかぞえられます。古墳は、横穴式石室を埋葬施設とする直径10~20mの円墳が中心で、石棺をもつものもみられます。 近つ飛鳥風土記の丘園内では100基あまりの古墳を保存しており、そのうち40基の古墳を見学することができます。古墳からは土器や鉄器のほかに、金銅製のくつやかんざし、ミニチュアのかまど形土器などが出土しています。このような出土遺物から、渡来人とかかわりの深い古墳群と考えられます。古墳時代でも後半にあたる六世紀から七世紀にかけて古墳の築造が続けられ、なかでも六世紀後半にもっとも多くの古墳がつくられました。~~~~~~~~
一須賀古墳群(いちすかこふんぐん)6世紀前半から7世紀中頃にかけて築かれた、23支群・総数262基からなる古墳群である。高安古墳群・平尾山古墳群とともに、大阪府における三大群集墳と呼ばれる。ほとんどが直径10メートルから20メートルの円墳であるが、方墳も一部見られる。(ウィキペディアより)副葬品に舶載品(はくさいひん)と考えられる金銅製の沓(くつ)や垂飾付耳飾、ミニチュアの炊飯具などがみられることと、北側に位置する7世紀の王陵群である磯長谷古墳群との強い結び付きが想定されることから、朝鮮半島からもたらされた新しい技術力を背景に、有力氏族が掌握した渡来系氏族の集団墓と考えられています。 (太子町Webページより)( ̄o ̄)/これぐらいのサイズになると、古墳というイメージより、大きなお墓って感じ。古墳時代後期になると全国的に大型古墳は造られなくなった。ヤマト政権の序列化が進んで、大きな古墳を造る意味がなくなったのか。それとも、農耕に適した平地に大きな古墳を造るのが無駄に思えるようになってきたのかも。
近つ飛鳥博物館の側にある古墳群です。横穴式石室で、かなりの古墳において、ミニチュア炊飯具型が副葬品とひて、出土しています。
名前 |
一須賀古墳群 |
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ジャンル |
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住所 |
〒585-0001 大阪府南河内郡河南町大宝4丁目20−10 |
HP | |
評価 |
3.8 |
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古墳ファンではあるけれど後期高齢者。古墳は見たいけど足が拒否。当日は快晴であるが古墳群に彷徨いだすと木々の隙間に太陽が見えるが居る場所は暗い。明るい所を求めてひたすら階段を登るが広場かと思いきや、広場は無い。「ああ!無情」さて、ここは何群なのだろうか? どうでもE群に思えて来た。