江戸時代の難所、清水坂を体感!
志村清水坂の特徴
旧中仙道の急坂、歴史を感じる道が魅力的です。
富士大山道の道標が残る、時代の面影を楽しめる地点です。
地下鉄三田線との交差地点、江戸と現代のつながりを実感できます。
志村坂上交差点を斜め左に進むと、清水坂があります。日本橋を出発して、最初の難所と言われた急坂です。隠岐殿坂、地蔵坂、清水坂と時代とともにその呼び名を変えたそうです。左右に大きく曲がっているため、中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所だったそうです。
旧中山道清水坂の中間付近にある石塔、この下で右に急カーブを切り、坂の斜面から地下鉄三田線が現れる様は江戸と現代が繋がっていることを強く意識させる。
【スポログreview#1479】この坂もまた実に走りたくなる坂である。
今の中山道が出来る前の旧中仙道で、江戸時代の大名行列では日本橋を出発してからの1番目の難所だったとされている。戦前は坂から富士山が良く見えたと言う。TV番組の全力坂でも紹介された。ほどちかい志村坂上駅の南側交差点の両側には江戸時代から残る貴重な一里塚(国の史跡)が保存されている。
歴史を感じるよね❗
清水坂日本橋を起点とする旧中山道の最初の難所といわれた急坂です。隠岐殿坂地蔵坂、清水坂と、時代とともに呼び名を変えました。この坂は、大きく左右に曲がっているため、中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所であったと言われています。清水坂を下った先には、板橋宿 と蕨宿の中間として合の宿が設けられ、そこにあった志村の名主屋敷や立場茶屋などは、旅人の休題や戸田の渡しが増水で利用できない時の控えの場所として利用されました。この辺りは、昭和三十年代頃までは旧街道の面影をのこしていましたが、 地下鉄三田線の開通など、都市化の波によって、その姿を変えました。平成二十九年三月板橋区教育委員会。
旧中山道の急坂。富士山も見えたらしい。板橋宿と蕨宿の合いの宿として名主屋敷や立場茶屋などがこの界隈にあったらしい。坂の上にも同様の石塔あり。
近くを都営三田線が走っているが、その高架線をくぐってからこの坂を登り終えると、さっきくぐったばかりの線路が眼下のトンネルに吸い込まれていく。そのくらいの急坂。
現道を離れた細く曲がりくねった坂に時代の面影を感じる。
名前 |
志村清水坂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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旧中仙道の難所だった所 急坂、急カーブで、当時は荷車など運ぶのが大変だった事が忍ばれる 昔は富士山が見えたらしいがいまは建物が遮っていて、その面影はない 坂の上には、富士大山道の道標も残っている。