戦国の雰囲気漂う志村城跡。
志村城跡の特徴
志村城跡はかつての赤塚城の支城で、戦国時代の歴史を感じる場所です。
志村三丁目駅から徒歩約10分、急斜面を利用した堅城の縄張りが見事です。
本丸跡は小学校やマンションになっていますが、あちこちで城跡や痕跡が伺えるマンションに住む人は、お殿様気分を味わえるだろう。
高さはそれほどではないが角度のある高地にある。土塁等の遺構が残る熊野神社が程良く古びて雰囲気が良かった。しかし他の部分は何も残っておらず。又、道路も新しいもののようで往時の様子は偲ばれず、想像に頼るしかない。(ココより妄想)すると、この高台が河岸台地に見えてきた。川沿いに郭が連なっているとすると、見慣れた縄張りの城にみえる。高台側は空堀があったろうか。崖下の川は何処へ流れて行くのか。高低差的に池袋方面か。いやそれでは千葉氏が確保する意味がない。一旦北上して当時江戸湾に流れこんでいた利根川に合流したのではないか。それなら千葉氏は川沿いに勢力を伸ばそうとした訳で筋は通る。そんな訳で遺構はともかく地形的に色々楽しめるお城でした。
こちら最寄り駅は都営三田線志村三丁目駅になります。駅から急な坂道を上ること4、5分くらいでしょうか。二の丸跡の志村熊野神社に到着します。志村城は、千葉氏ゆかりのお城と言われており、赤塚城の支城として使用されたと言われています。現在、本丸跡はマンションや板橋区立志村小学校になっています。二の丸跡には、志村熊野神社が建立されています。神社の参道左側に石碑が建てられていました。板橋区教育委員会の立看板に説明が書いてあります。神社の西側には空堀が残っています。都会のど真ん中で空掘が残っているだけでも、貴重な史跡だと感慨深く拝見しました。
熊野神社境内は志村城の二の丸付近、社殿は古墳とされる築山の上にあり、志村将監が建久二年(1042)に紀州から勧請したと伝えられます。「志村城」は、志村氏によって築かれた中世の城館。「守るに易く攻めるに難し」と言われた堅城でしたが、大永四年(1524)に北条氏綱に攻められて落城しています(立札説明)。中世の居城跡が神社として今日まで残されている例、都内でも結構見かけます。熊野宮、志村族の夢の跡・・
千葉氏の本拠であった赤塚城の支城として機能していた城郭、急峻な崖を持つ丘を利用して築かれています。現在は志村城跡公園として整備され、二の丸跡にある熊野神社に城址碑と空堀跡があります。地下鉄 志村三丁目駅から約3分の駅近物件です。
中世城館。本丸は小学校を中心とする一帯で隣りの熊野神社は二ノ丸にあたるそうです。
都心に残る戦国時代の城跡。といっても空堀と土塁が少し残されているだけですが、周りはマンションや小学校などで開発されまくっている中、明確な城跡の痕跡が確認できるだけでも貴重な遺跡です。空堀は短いながらも折れが確認できます。またこの城の立地もなかなかで、武蔵野台地の突端部にあたる舌状台地の先端という教科書的な立地であることが周囲を歩くとよくわかります。特に北側は切り立った崖で容易に近づけなかったことでしょう。当時はとても見晴らしの良かったであろう城は高級マンションに取って代わっております。
都営三田線の志村三丁目駅から城山公園を目指すと、高い崖が目に入ります。この崖の上に志村城跡があります。急な坂道を上り熊野神社の鳥居を潜るとそこには志村城の城址碑が立っています。熊野神社の場所が二ノ丸跡になります。熊野神社の拝殿西側の木々が生えているほうに入っていくと、唯一の遺構となる本丸と二の丸の間の堀跡と土塁を見ることができます。本丸跡には大きなマンションが建っており遺構は残っていません。
熊野神社の脇に空堀が痕跡程度に残っています。
| 名前 |
志村城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3579-2633 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
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小高い丘に築城された戦国時代の城跡。現在の志村小学校の一帯が本丸、熊野神社の場所が二ノ丸にあたるということで比較的大きな城だったのではないかと感じた。神社の左手(西側)にある森に入って行くと明確に分かる堀跡が確認出来るし、神社の裏手は崖になっており城らしさが感じられ、期待してなかった分感動した。戦国時代に北条氏に攻められ落城したという。戦国時代というと信長や秀吉、家康が活動した関西方面をまず思い浮かべてしまうが、関東でもそして今の板橋区でも戦国時代があったということを再認識させられる城跡だった。