二上山登山口へ15分、自然とともに。
二上山上ノ池横登山口の特徴
二上山上ノ池横登山口は登山道の入り口で便利です。
池の近くには釣り禁のため静かな環境です。
駐車場は数台のみで、混雑しにくい点が魅力です。
近鉄南大阪線の二上山駅から登山口まで徒歩でも15分と少々。駐車場スペースは極小。電車でのアプローチをお勧めします。6合目路での登山は途中分岐がありますが行きと帰りで使いわけがいいです。登り時に直進ルートを使われ方が断然がベターです。雄岳の出会いの広場で小鳥さんに餌をあげるとこっちが癒やされます。雄岳から雌岳に向う道中に「おおせ坂」がありここも小鳥達がすごいスピードで餌を食べに眼の前に飛んできます。とても可愛いです。❤この登山口からは(銀峰.外環道、Fロード)コースもあり、コチラのコースは6合目路より長くハードです。下は登山口看板文字起こし↓畑城(岡城)跡中世、この大ショウゴ山の頂に岡氏が山城を構えていたものと推定されている。岡氏は興福寺の荘園・平田庄の庄官であったが、武士化し、大和国人として岡郷(畑あったか、武士化, ・後壁・良福寺・狐井・下田・逢坂・加守など)を支配した。応仁の乱では越智氏とともに西軍に属し、東軍方の筒井氏や箸尾氏と戦った。永禄三年(1560)、足利幕府管領家・細川氏の家臣・松永久秀が信貴山などに城を構え、大和の支配権を巡って筒井順慶と対立する。この頃、岡氏は松永氏の嵐臣として対外交渉を担ったようである。永禄十年(1567)、織田信長上洛時には信長が岡因幡守に対し、松永と岡因幡が信長に味方するよう書状を出している。元亀二年(1571)には、松永久秀と岡氏が信長から離反し、武田信玄に付こうとしたことが岡周防守宛の信玄の書状で明らかとなっている。なお、この背後には将軍足利義昭の意向が働いていたとの説もある。その後、岡周防守は松永方から筒井順慶側に回り、織田信長の支配下に入ったが、 天正二年(1574)には岡郷が信長に攻められ焼き払われている。天正八年、岡弥二郎は自害し、岡氏は武将としての幕を閉じた。一説によると、 岡氏が信長へ人質を出すことを拒んだためとも、かつて松永久秀に属していただめともいわれるが、真相は不明である。
5歳の息子と2人で登りました。足腰が少し弱い子なのでたくさん休憩を取ってゆっくり時間をかけて登りました。登りで約3時間かけましたが、通常はもう少し早く登れると思います。大阪側からのルートもあるんですが、こちらに来てしまいました。息子には少し、けわしい道だった様です。抱き上げたり、くだりのおんぶは膝が笑い、危険と判断して超スローペースでくだりました。
登山道の入り口。木々が茂っているので、入り口は少し薄暗いです。
真横の池は釣り禁です。
幾つか通行禁止のルートがあるのに登山口にその情報が掲示されていません。苦労して登って、禁止の立看板で戻れと言われても無視して登りたくなります。役所仕事だなーと感じます。登るときは役所に電話して確認したほうがいいですよ!HPもメンテされていない事が多いので!
車は数台しか止めれません。
二上山への登山口です。
| 名前 |
二上山上ノ池横登山口 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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ここは「登山口」なのでここに駐車場はないですご注意くださいませ。