カルガモの雛祭り、心和む神社。
調田坐一事尼古神社の特徴
一願成就の神様、尼古大神を祀っている神社です。
カルガモが毎年子育てをする池があり、和みます。
住宅街にひっそりと佇む、歴史ある神社です。
歴史を感じる静かな神社です。鳥居の前には百度石があり、参道の途中には鯉が泳ぐ池があります。時期によってはカルガモ親子にも出会えるそうです。「人形流し」が体験でき、紙で作られた人形に名前と年齢を書き、身体を撫でて息を吹きかけ、太鼓橋から池に流します。水に溶けて消えていく姿は神聖で、心が軽くなります。拝殿には迫力のある大絵馬が並び、青いボタンを押すと音声案内が流れる仕掛けも。境内は手入れが行き届き、四季の花も楽しめるおすすめの神社です。
葛城市の疋田にある神社。調田坐一事尼古神社(つくだにますひとことねこじんじゃ)。7/15は夏祭りで、夏越しの祓(なごしのはらえ)のお祭りとのこと。正式名称は「夏越大祓(なごしのおおはらえ)」といい、半年間の罪や穢れを祓い、残りの半年の無病息災を願う神事です。茅の輪をくぐったり、人形(ひとがた)に罪や穢れを移して清めたりする風習があります。ここでも「人形流し」をするみたいです。2025年5月26日の頃にはカルガモの親子(雛は9羽)が境内にいたようですが、5月30日にはすでに引っ越したあとでいないとのこと…。当時はカルガモ子育て期間限定「御朱印」「お守り」があったみたい。ご参考までに~✌
住宅街のなかにありました郵便局の駐車場にとめて歩いていきました202303
2023.5.5今年もこのコたちがすいすい❤️宮司さんによると今朝生まれたばかりのよう。11羽がお母さんから離れまいとピッタリ寄り添ってついていく様子がたまりません😍
どうやら一願成就の神様を祀っておられるみたいで一事尼古大神の尼古とは高貴な男神を示し、一言主神と同神なりやとのこと。
5月20日、カルガモの親子さんを見に行こうとしたら、もうお引っ越しされました、と。早くて1日、長くて七日くらいいるらしい。チャンスがありましたら。ぜひ!!神社の人が丁寧。
神社としては普通の氏神様ですが毎年GW頃よりカルガモが神社の池の中島に巣をつくり、10羽程の雛が孵り心を和ませてくれます。この池は小さいので近くで雛を観ることが出来るので高性能でないカメラでもかわいい写真が撮れます。
5月13日早朝にカルガモの雛10匹が孵りました。度重なるカラスからの攻撃を回避して、池で泳ぐその姿は癒される風景となっています。雛の横で凛と佇む親鳥の姿は誇らしげでした。これからも天敵からの攻撃や試練の連続かもしれません。どうか無事に成長していってほしいです。
「葛木(葛城)の道」巻十四の一の三 葛城市疋田402調田坐一事尼古神社(つくだにいますひとことねこじんじゃ)新庄駅前の柿本神社の西の脇道をまっすぐ北に進むと三段階くらいに道が先細りしてきます。途端に北の方にはわずかながら「疋田の杜、神奈備」の木々が見えてきます。社は非常にわかりやすいところに位置します。一事尼古大神の尼古(ねこ)とは高貴な男神を表しているということで、一言主神と同じ神です。一言で願えること、一つの願いごとなら何でもかなえてもらえる一願成就の神様として崇敬を集めます。また憚りながら、指示通りに恐る恐る拝殿の重い扉を開けると本殿も現れ、拝殿の中には氏子の「ひと言」の願いが一つ一つ託され数多くの絵馬が奉納されています。神鏡も設えてありまして、鏡を通して神様と自分が向かい合い、誠実で清らかな心でお参りをするということを考えれば拝殿の中ではシャッターを押す気持ちが湧きませんでした。ご自身で確かめてみてください。お隣の「葛城市疋田公民館」前の広場にも石碑が立ち、地元出自の「医術の聖人 西川善七」の碑が建っています。ここからは、北西に進路をとり、市杵島姫神社(いちきしまじんじゃ)を経由して長尾神社に参ります。
| 名前 |
調田坐一事尼古神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0745-69-3353 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
調田坐一事尼古神社(つくだにますひとことねこじんじゃ)。奈良県葛城市疋田。式内社(大)、旧村社。【祭神】一事尼古大神 事代主大神資料によると、式内社。創建年代は不詳。称徳天皇の神護景雲四年(770年)に槻田神に播萬一戸とあり、奈良時代には鎮座していたようだ。祭神の一事尼古大神とは神社の由緒によれば、一言主大神のこととする。「尼古」とは高貴な男神を示すと言う。根子の名の神や人の名が古典には多い。 この一言主大神の物語は雄略天皇の葛城山御幸に出現するのであるが、雄略天皇は大和王権の権力を確立した天皇として記憶されていたのであろう。 天皇の姿は葛城の一言主大神とそっくりであり、『日本書紀』では見送りまで受けている。天皇は神であるとする主張の前触れだろう。近世以前は当社は「春日社」と呼ばれ春日神を祀っていましたが、摂社として一言主神を祀っていたようです。当社に春日神が勧請されて主祭神となり、本来の主祭神である「一事尼古」は境内社の地位に転落し、名の知れた「一言主神」として祀られたのかもしれません。現在は境内社に春日神社が鎮座しており、上述の推測が正しいなら再び主祭神と境内社が逆転して元に戻った格好と言えます。コトシロヌシは葛城地方を拠点とした地祇系賀茂氏の祖であり、葛城に縁の深い神です。また両神ともに託宣の神、あるいは託宣を行う巫を神格化したものであると思われ、当社の信仰も本来は託宣による祭祀が主に行われていたのかもしれません。とあります。