箸墓古墳で卑弥呼の謎を探る。
箸墓古墳の特徴
撥型前方後円墳の最古の例として、歴史的価値のある古墳です。
無料の駐車場があるため、アクセスが非常に便利です。
日本書紀に登場する皇女の墓として、貴重なスポットです。
夕方に伺いました。風が少し強く古墳全体の木々がうごめいていました。それもあってか、どこか気配を感じるというか神秘的に感じられる空間でした。
卑弥呼の墓との説もある古墳。宮内庁の管理下なので、墳丘には入れません。拝所があるので、そちらで拝むことは可能です。県道側から入って右手に無料の専用駐車場があります。
卑弥呼の墓ではないかと言われています。発掘された埴輪や土師器、鏡などの型式から、出現期古墳のなかでも初期のものと推定され、3世紀中葉の造立と思われるそうです。前方部先端が広がっているのは、弥生時代後期の墳丘墓の突出部の形状を受け継いでいるのではないかと考えられるとのことです。造営時期と周辺の古墳の中で最大のものであることなどから、白石太一郎氏等は卑弥呼の没後、初期のヤマト政権の成立に伴い、政治連合継続の象徴として造立されたのではないかと推察しています。隣接するホケノ山古墳は箸墓古墳より若干築造年代が古いとのことなので、そちらの被葬者は誰なのでしょう。
2026年2月末、周辺ぐるっと散策しました。前方部南側で渡り土堤が発見されたとかで、発掘調査中になってました。
くびれが美しい古墳です。言わずもがな日本最古の巨大前方後円墳で、全長約280m、3世紀中頃築造とされています。昼は人が、夜は神が作ったという伝説もあります。接している箸中大池からの景色は普段なら大変美しいです。私が訪れた際は生憎の雨模様だったのであまり綺麗ではありませんでしたが笑宮内庁により倭迹迹日百襲姫命(孝霊天皇皇女)の墓とされていますが、卑弥呼の墓という説が有力視されています(私は邪馬台国九州説派なのでなんとも言えないところです)倭迹迹日百襲姫命:父は孝霊天皇、母は妃の倭国香媛生没年不詳崇神天皇7年 国中の災害を鎮めるために占いをしたところ、大国主神が百襲姫命に宿り、自身を祀るように言った。同天皇10年 和珥坂で不思議な歌を詠う少女と出会った大彦命(孝元天皇皇子)が百襲姫に相談したところ、武埴安彦とその妻の謀反の前兆だと告げた。実際謀反は発生し、無事鎮圧されたそう。大国主神の妻でもあり、大国主の姿を一目見たいと頼んだところ、小さい蛇に変身して現れた。百襲姫はこれにびっくりし大国主は三輪山へ逃げてしまった。百襲姫はこれを後悔し腰を落としたところ箸が陰部に刺さり、薨去。
大きいです、巨大です他にも近くの複数の古墳を探索しましたが、どこからも箸墓古墳が見え、それを目印にすると迷子になりません。卑弥呼の墓と言うだけに、色々と想像し想いを回らせると愉しかったです。
倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)のお墓(前方後円墳)と言われています。手前が溜池のようなくびれの部分からの方角から拝見しました。こんもりした小さなお山のような眺望でした。
纒向駅から徒歩15分、あの有名な女帝『卑弥呼』の墓とも言われている巨大な前方後円墳です。ヤマト王権の初期の都市であった纒向遺跡もすぐ近くにあります。なお、拝所付近を含めて近くに駐車場は見当たりませんでした・・
孝霊天皇皇女 倭迹迹日百襲(ヤマトトトヒモモソヒメ)大市墓。箸墓古墳は発掘も禁止で入れないので、こちらにお参りしました。まぁ入口は全く記載も無いですが、無料駐車場から幼稚園に向かった左手側にあります。日本最古の前方後円墳の可能性大との事。モモソヒメは3代の天皇の祭祀を行う巫女を務めて、大物主の声を聞き、大和の神、出雲の神をそれぞれ橿原の地から外へ出しました。それ以外にも夜な夜な現れる大物主の正体を見た事で驚いてホトを箸で突いてしまい、亡くなったため箸墓と言われているらしいですが、これは謎エピソードで、箸ではなく古墳の技術者てある土師氏から来ている説に賛同します。ありがとうございました。
| 名前 |
箸墓古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
https://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunkashigen/main10577.html |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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2026.6.21訪問。卑弥呼の墓と云われる古墳。古墳あるあるですが、大きすぎて近くでは単なる木の生えた丘。管理は宮内庁、卑弥呼の墓、それだけでロマンがあります。