歴史を感じる征西将軍宮廟へ。
懐良親王御陵墓の特徴
懐良親王御陵墓は歴史的な重要性を持つ史跡です。
筑後地域の戦場跡や供養塔を訪れるには絶好の場所です。
高台に位置し、静かな環境で歴史を感じられます。
千光寺の南東部の高台の将軍公園の中央部に懐良親王御陵墓があります。筑後川の合戦で敗退してこの地まで逃れてこられた親王は、傷つき近くの「谷山城」まで引き上げてこられるが亡くなられます。味方の士気をおもんばって谷山馬之介は密かに火葬します。それはこのお墓の下にある杉林で「御火化所」といったそうです。但し、懐良親王の御陵墓は、ほかにも数ヶ所の御陵墓があります。宮内庁が公式に認めているのは、八代にある御陵墓です。
千光寺の境内には、筑後国主田中忠政の供養塔や草野家一門の墓、懐良親王の宝筐印塔がありますが、そこから奥のある急な階段を登ったところに、玉垣に囲まれた『征西将軍宮壊良親王廟』があります。1359年、大保原の合戦ののち深傷を負われた懐良親王は、千光寺近くの谷山城に引き揚げられたが、手当ての甲斐なく、8月18日死去された。谷山右馬介は味方の士気をおもんばかって、この場所より下の杉林で密かに火葬した。その場所を『御火化所』 (おかげしょ) と呼び、御陵墓からは石棺と朱詰の鉄鉢が出てきたという。懐良親王の死については諸説あり、未だに決定的な史実は出ていません。懐良親王の墓といわれるのが、千光寺の他にもいくかあり、中でも福岡県星野村の大円寺、熊本県八代市の悟真寺のそれぞれの裏山にも御陵墓があり、その地で亡くなられたとの伝承が残っています。また、廟麓に立つ樹が人を寄せ付けない恐ろしい程の気を放ってます。【大原合戰とは】(南朝暦) 正平十四年(一三五九年)七月から八月にかけて、およそ六万人の北軍(少弐・大友連合軍)と、およそ四万人の南軍(懐良親王・菊池武光軍)が宝満川流域の味坂・大原・西島・山隈を含む筑後平野を舞台にして、一大決戦を展開し、両軍の戦死傷者合わせて約二万五千人といわれている。戦いの結果は南軍の勝利となった。以後、菊池武光は懐良親王を奉じて大宰府に征西府をおき、十数年間九州政治の実権を握るに至った。平地戦で短時日にこんなに多数の戦死傷者を出した激戦は稀であるといわれ、その霊魂を弔ったと伝えられる跡やその他の遺跡は残っています。
DQWのギガモンスター出ます(笑)
| 名前 |
懐良親王御陵墓 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
筑後に征西府隆盛と衰退を決定づけた2大決戦地があり、車で流した感じでは福岡佐賀熊本を行来するだけでも筑後は重要なので此処の決戦で懐良親王重傷お亡くなりでも不思議はないかと福岡市から高速2時間、平知盛墓草野から10分隣に田中吉政供養塔寺の裏山登ると近くグーグルは反対側登れない川沿いへその他小郡市周辺戦場跡多くセットで。