昭和2年の歴史を感じる道案内。
法隆寺 廣瀬神社道標の特徴
昭和2年に建てられた歴史的な道案内が魅力的です。
2本の石柱が立つユニークな道標の存在感に感動。
史跡としての価値が感じられる特別なスポットです。
昭和2年に建てられた道案内。ここより北12丁で法隆寺、東南15丁で官幣大社である、広瀬神社。この頃は仲良く並んでたのに、今は誰も目をとめる人はいないから、俺らってもう一度返り咲きすることあるのかな?まあねーな、でも法隆寺くんは知られ渡ってるけど僕なんか誰もきてくれんよ、昭和は遠くになりにけりさ、なんて呟いてるように見えた。
| 名前 |
法隆寺 廣瀬神社道標 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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2本の石柱が立っているが、これが2本とも道標である。駅より踏切寄りである。右側は、法隆寺を示している。この道標が出来たのは、大正11年で「聖徳太子御建立法隆寺七堂大伽藍是ヨリ北十二丁」とある。わかりやすく言うと距離にして1.5キロと少し。徒歩で北側へ向かって25分弱。バスで行くとひとつ停留所分(興留まで)は乗れるが、その後1キロは歩かなきゃ着かないし、法隆寺の中が広いので結構歩く事になる。有名な法隆寺であるので説明は要らないなあ。奉納されたのは名古屋の伊藤萬蔵さん。左側は、2月に行われる奇祭「砂かけ祭」で有名な廣瀬神社を示している。「官幣大社廣瀬神社東南十五丁」と。廣瀬神社が有名でないと書かれているクチコミも存在するが、龍田神社との間には深い関係がある。距離にして2.5キロで、徒歩で南側だけれど、富雄川沿いに歩き、大和川を渡り(道標設置時には御幸橋が架橋されていたが、明治初期までは渡し舟)西名阪をくぐりと曲がりくねる上に、30分以上かかる。公共交通機関で最寄りの所が法隆寺駅。いまこの道標を頼りに廣瀬神社まで行くのはつらいが、昭和2年に奈良県生駒郡に住んでおられた吉田亀吉さんと岡アサ子さんが奉納された時には、この駅から神社が見えたはずである。廣瀬神社は由緒ある神社であり、広瀬街道という街道すら存在している。大和路線が出来る前は、大和川は交通の手段として重要で、奈良街道・富雄川などが交差する地点の廣瀬神社周辺には、船問屋や宿が整備されていた。