飛田新地で感じる歴史の息吹。
飛田 慈母観音の特徴
阪神高速が通る中で独特の景観を楽しめる寺院です。
慰霊碑や慈母観音があり、神聖な雰囲気を醸し出しています。
飛田新地の発祥地として歴史を感じられる場所です。
慰霊碑と慈母観念があります。いろいろな事情により飛田遊郭で働き、居住をしていた男、女(遊女)の方々が様々な事情や世間の風況で遊郭外に移住することもままならず亡くなられた霊が安らかなれと願い立てられたものです。
阪神高速が上を通っています。この地を飛田遊郭発祥の地として記念し、平成4年に建立されています。銀龍大神の近くにあるので、お天気がよければ散策してみてください。
| 名前 |
飛田 慈母観音 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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飛田新地発祥の地らしい飛田(遊郭)新地料理組合の歴史明治四十五年一月十六日午前一時ごろに難波新地(南の大火)の・火災が発生。十一時間以上炎上し一帯を焼き尽くした。その後、府下東成郡天王寺村大字天王寺東松田西松田の一部原っぱ同然だった二万拝に通称「飛田遊郭」が大阪府告示一〇七号貸座敷免許地として指定される。大正七年には、飛田の一部で一六〇件~二〇〇体一戸当たり堀岐数十名余りの店が営業開始(つまり、失業した貸座数業者の救済)の目的飛田遊廓を経営者は阪南土地会社であったが、大阪土地建物会社が対等条件で合併し飛田遊郭の家屋賃貸経営を引き継いでいた。大正七年前後に新たに開発された飛田は戦中に大きな被害を受け、戦後は赤線として復興が進められる。賃座敷はお客さんの宿泊は認められていたがしかし、昭和三十三年『売春防止法』によって飛田は大きな転機を迎えその後、当時の新地組合長・協同組合理事長・帳場長の三者により会議を重ね、料理組合として誕生。慰霊碑・慈母観音(無縁仏)の由来について以前は、高野山のお寺付近に無縁仏として慰霊障があり数回おまいりを致しておりましたが、数年ご無沙決していましたところ所在が不明となってしまいました。慰霊理は、いろいろな事情により飛田遊郭で働き、居住をしていた多くの男、女(遊女)の方々が様々な事情や世間の風評で遊郭外に移住することもままならず亡くなられた霊が安らかなれと願い建てられていたものです。また、慈母観音は地域に貢献されながらも、身内にも見取られないまま、亡くなられた多くの遊女たちの霊を供養し、彼女たちの苦労を決して無駄にしないように、地域が一丸となって奉って行きたいと思い、合わせて地元であります西成区山王三丁目に建てたものです。ここに安らかに眠って頂きたいと心よりお祈り致します。飛田社会福祉協議会 平成二十年八月吉日。