秋の美しい望巒庭で、静かなひとときを。
望巒庭(ぼうらんてい)の特徴
北山安夫氏が手がけた庭園で、美しい自然が楽しめます。
春のシャクナゲや秋の美しい風景が魅力的です。
山中に位置するため、静かな環境でリラックスできます。
春はシャクナゲが綺麗に咲いていが、季節的に秋がぴったし!案内板には小倉藩細川忠興は山伏の為に講堂を再建、佐賀藩鍋島氏も崇拝し霊験あらたかな山として彦山の上に英をつけ英彦山と名付けた歴史ある山。山に囲まれた神秘的な場所。
こちらの「望巒庭(ぼうらんてい)」は北山安夫氏が作庭を手がけられました。「望巒庭」の「巒(らん)」は「うねうねとした山なみの意」です。庭園様式は枯山水となり、枯滝流れ、白砂、州浜、自然石の石橋等が設えられています。また四阿と桜の木の植栽があり、白砂の中島にも松の木が植えられていますが、北山氏が体調を崩して暫くこちらに来られなかった為に、松が成長し過ぎて庭とのバランスが悪くなっているというのは、庭を管理されている方の談でした。英彦山は、平安時代より大分県の宇佐神宮を中心とする国東半島と共に九州における神仏習合の聖地で、とりわけ英彦山は大和・大峯山や出羽・羽黒山と並ぶ日本三大修験道上の一つとして隆盛を極め、鎌倉時代には後伏見天皇の皇子・助有法親王を座主に迎え、それ以来英彦山座主は皇室の血を受け継ぐ一族の世襲制となり、その宗教的地位を不動のものとします。雪舟が滞在した室町時代の英彦山はその最盛期で、英彦山大権現と神宮寺・霊仙寺を中心として山上に三千八百もの宿坊がひしめくように建ち並んでいたと伝わっています。それらの坊は薬草と茶の栽培を行い茶室と庭園を営んでいました。その庭園遺構の一部は現在も山内各所に残されています。やがて安土桃山時代になると一大勢力に成長していた英彦山の山伏たちは戦国武将達に抵抗します。その結果、大分を所領としていたキリシタン大名の大友宗麟、そして豊臣秀吉と、二回の大規模な焼き討ちに遭い、堂塔は焼け落ちます。それは比叡山の焼き討ちに並ぶ大きな出来事でした。こうして一時は衰退した英彦山でしたが江戸時代になると九州の大名家の信仰を集め、中でも細川家や鍋島家の手厚い保護によって息を吹き返し、多勢の山伏たちが英彦山の薬草を携え九州中に広がる檀家を回り権現信仰を広めていきました。しかし明治の神仏分離令によりそのすべては消滅し、英彦山大権現の名も人々の記憶から消えて行きました。今では英彦山神宮を残すのみとなっています。昭和五十四年(1979)、英彦山大権現の記憶とその名前を蘇らせ後世に受け継ぐべく、かって最も古く格式高い坊が立ち並んだ玉屋谷の最下段にあった宿坊「滝の坊」跡地に、池泉(滝の坊古庭園含む)・鑓水・枯山水などの庭園群が作られ「英彦山大権現」と命名されました。新しい庭園群は、そのむかし山伏たちが修行した岩窟神社や苔むした坊の古い石垣と寄り添い、千年以上の長きにわたり英彦山で花開いた在りし日の神仏習合と庭園文化を偲べる貴重な風景を形成しています。英彦山大権現は誰でも自由に無料で見学できます。2022/04/08(令和四年四月八日)
物凄い山中にある為か、普段は人は少ないです。近くに温泉もありますので、ゆっくり出来ます。とにかく周りが険しい山ばかりなので、少し不安になるくらいです。庭園は綺麗に手入れされており、見ごたえがあります。
綺麗なところです。山の方まで登れるそうなのですが、私の行った時は、雨の災害により行けませんでした。復旧まではしばらくかかるとみられます。
名前 |
望巒庭(ぼうらんてい) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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場内30分程度で回れます、小さな砂利を敷いてるので、ベビーカーなどは不便です、駐車場からの坂道はご高齢の方にはちょっと厳しいかもです😔