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名前 |
母子地蔵尊 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
令和六年も、地蔵盆がある。8.24 にテントが張られていた。「東勝一母子地蔵講世話人一同」と書かれている。かなりの年代物の石の地蔵尊だ。顔に目鼻が無いのは、彫らなかったのではなく、風雨に晒されて凹凸がなくなったのだ。右に安置されている地蔵は、一つの石に二体の地蔵が彫られているのではなく、どちらかが母親でどちらかが子どもなのだ。左にあるのは、別の所にあったものをお洞を作るときに並べたもので、年代が異なることが多い。母子が生き別れになった時に、それを悼んで作ったものが母子地蔵尊だと思う。