四天王寺近くの歴史的な発見。
竹本義太夫墓所の特徴
四天王寺近くに位置し、歴史を感じる場所です。
超願寺内にあり、静かな環境で訪れやすいです。
歩いていると歴史的な発見が楽しめるスポットです。
四天王寺近くの超願寺さんの中にある。浄瑠璃の歴史を知る事ができる。竹本義太夫さんが朝廷に召されたりした事も知れて興味深い。
ただ道端に石碑が建っているだけでした。もう少し何か工夫が欲しいと思うのは私だけでしょうか。まぁこの方が歴史を伝承するうえでは真実味があるのかも。
しかし、大阪は歩いているだけで、何かしら歴史を感じる発見がありますなあ、こちらもそのひとつ。
| 名前 |
竹本義太夫墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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超願寺内にある。お洞のような屋根があり、墓石の風化を護っている。生花が生けてあり浄瑠璃のファンはまだまだ多いのだと思わせる。寺の山門には石柱があり、彼の墓所があることを示している。墓所自体はわかりにくくて経路が示されている訳ではない。山門を入ると左に大きな鐘撞場があるが、右へと進んでいただきたい。道なりに、本堂に向かって歩くと右側に見つけることが出来るだろう。竹本義太夫の本名は「五郎兵衛」、初期には清水五郎兵衛と名乗るが、後に竹本筑後掾(たけもとちくごじょう)と称した。摂津の国天王寺村の農家に生まれている。竹本座を開場して、その経営を安定させるべく、様々なことを戦略的に活動をした。元禄16年に近松門左衛門作った「曽根崎心中」が大ヒットした。座の経営が安定したので、座元を引退して竹田出雲に譲った。隠居はせずに出演はしていたらしい。ここに書いた竹本義太夫は、初代の事である。襲名して師匠筋の名前を継ぐのは、現代の歌舞伎・落語などと同じである。相撲では、若乃花などは弟子が跡を継いでいる。さすがに「大鵬」・「北の湖」・「千代の富士」となると、おいそれと襲名はできない。しかし、落語では襲名しても芸風を踏襲するかどうかは、偶然性に左右されている。浄瑠璃ではどうだったのだろうか?竹本座の創始者である初代を越えることは難しいだろう。芸術の平行関係で考えるのが好きなので、バーンスタインの「ウエストサイドストーリー」が、彼の死後もロングランを続けているのを睨んでこの項を書いている。