旧大和川の歴史散策。
旧大和川堤防跡(旧玉櫛川)の特徴
大和川の川筋に残る貴重な史跡です。
江戸時代の歴史を感じられる場所になっています。
周辺の御野県主神社とも連携した文化的スポットです。
江戸時代の1704年(宝永元年)に玉串川と長瀬川に付け替えされる前まで、大和川の川筋は4kmほど南の二俣付近で二つに分かれており、その分流がこの地を流れ、川幅は200m近くもあったそうです。本殿の裏手の小高く盛り上がっている箇所がかつての堤防です。現在は木々が生い茂っており、中々雰囲気のある場所です。昨年春に訪れた際、野鳥がたくさん棲みついていたようで、辺りは閑静な住宅街なのに、ここだけは、けたたましいくらいの鳴き声がしたのが印象に残っています。
まず思うのは、よくぞ残ってくれたということ。いまある玉串川はか細い糸のような川だが、江戸時代ここには大河が流れていた。旧大和川、玉櫛川である。小高く盛り上がった薄暗い森はわずかだが、今でも当時の堤防を思い起こすことができる。大阪にとって貴重なる資産のひとつだろう。
河内山本 玉串川 桜 3分咲き。満開時は凄いよ‼️。
ここにしかない史跡です。
御野県主神社の西の部分、正面は東側なので神社の奥の方、横方向に一段高い場所は昔の旧大和川の支流、玉串川の堤防の名残になります。元の大和川は柏原市より八尾、東大阪市へと河内平野を流れて半沼地の感じだったそうです、江戸時代、時の庄屋、中甚兵衛が苦労の上、幕府の許可得て柏原市から西の方角、堺市へと大和川を付け替え、支流になった長瀬川及び玉串川と河内平野の新田開発を成し遂げました、その当時の大和川の堤防跡です、今は緑に生い茂る鎮守の森の様に見えています。
名前 |
旧大和川堤防跡(旧玉櫛川) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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府立八尾高校の構内にも旧大和川堤防跡がある。