郡山の両面石仏、歴史の宝。
両面石仏の特徴
昭和48年に出土した貴重な二面石仏を展示しています。
郡山城本丸石垣からの歴史ある石仏が魅力です。
上部が削られた独自の風情を持つ石仏です。
番屋カフェのすぐ近くに両面石仏がありました。といっても、説明パネルがあったので、後ろを見たら裏面にも石仏があることに気が付いた次第です。なにが彫られているかは、下記の説明パネルを見て頂いた方が分かりやすいと思うのですが、前面には泰山府君の坐像が彫られ、後面には地蔵菩薩を彫ることにより、堕地獄の恐怖とそこからの救済が表現され、民衆に対し罪の怖さと信仰の尊さを説くために使われたと考えられているそうです。また、両面石仏の近くには「寄せ集め塔」がありました。元々この形として造られたように見えますが、異なる時代の異なる石塔を組み合わせた塔で、放置されていた石垣用の転用石(石塔)を、郡山の石工が見栄え良く再構築したのだそうです。以下は近くにあった説明パネルの内容です。両面石仏昭和48年(1973)、郡山城本丸石垣より出土した。 奈良などの寺院から、石垣の転用材としてここに運ばれたものであろう。舟形の石材 (花崗岩)の両面に、浮き彫り(薄肉彫り)で像容を表す。上端部が欠損しており、現状で高さ65cmを測る。片面は中央に大きく十王の一人 (泰山府君)の坐像が彫られ、向かって左側に金棒を持つ鬼、右に従者が配置されている。また、もう一面には蓮台に地蔵立像を浮き彫り (半肉彫り)とし、その左右に十王を薄肉彫りで配置している。地蔵は右手に錫杖、左掌に宝珠を持つ通形で、首から上を欠損する。亡者は泰山府君の前で生前の罪を暴かれるが、一方で地蔵菩薩によって地獄の責め苦から救われる。つまりこの両面石仏においては、堕地獄の恐怖とそこからの救済が表現されている。鎌倉後期の製作と思われ、民衆に対し、罪の怖さと信仰の尊さを説くために使われたものだろう。全国的にあまり例を見ない、非常に貴重な作例である。寄せ集め塔柳沢文庫の脇に立てられていた石塔。あたかもオリジナルのスタイルを保った石塔のように見えるが、実は複数の異なる時代の石塔の部材を組み合わせた「寄せ集め塔」である。具体的には、下から①宝篋印塔屋根(笠)の段形(鎌倉後期)②五輪塔の反花座(鎌倉後期~南北朝期/天地逆)③小型五輪塔の反花座(室町後期)④五輪塔水輪(室町期/天地逆)⑤五輪塔火輪(室町期)⑥五輪塔空風輪(室町期)となる。石材はいずれも花崗岩で、総高は約1.2m (六尺)を測る。郡山城の石垣を築く際に搬入された石材を柳澤伯爵家の郡山別邸(現在の柳沢文庫建物)が新築された明治39年(1906)以降、 地元郡山の石工が六尺塔として再構成したものだと思われる。
上部が削られていましたが貴重なものです。
昭和48年(1973)、郡山城本丸石垣より出土した。奈良などの寺院から、石垣の転用材としてここに運ばれたものであろう。舟形の石材(花崗岩)の両面に、浮き彫り(薄肉彫り)で像容を表す。上端部が欠損しており、現状で高さ65cmを測る。片面は中央に大きく十王の一人(泰山府君;たいざんふくん)の坐像が彫られ、向かって左側に金棒を持つ鬼、右に従者が配置されている。また、もう一面には蓮台に地蔵立像を浮き彫り(半肉彫り)とし、その左右に十王を薄肉彫りで配置している。地蔵は右手に錫杖、左掌に宝珠を持つ通形(つうぎょう)で、首から上を欠損する。亡者は泰山府君の前で生前の罪を暴かれるが、一方で地蔵菩薩によって地獄の責め苦から救われる。つまりこの両面石仏においては、墜地獄の恐怖とそこからの救済が表現されている。鎌倉後期の製作と思われ、民衆に対し、罪の怖さと信仰の尊さを説くために使われたものだろう。全国的にあまり例を見ない、非常に貴重な作例である。白毫寺地蔵十王石仏※本作例(地蔵面)に近いレイアウトである。
二面の石仏。片面がお地蔵さん説明で十王の一人とかかれているので、もう片面は閻魔さんでしょう。閻魔さんとお地蔵さんは化身の関係がありますので。素晴らしい出逢いに感謝です。
二面の石仏。片面がお地蔵さん説明で十王の一人とかかれているので、もう片面は閻魔さんでしょう。閻魔さんとお地蔵さんは化身の関係がありますので。素晴らしい出逢いに感謝です。
| 名前 |
両面石仏 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
柳沢文庫から毘沙門曲輪へ抜ける手前に両面石仏と呼ばれる石垣の転用材が、あります。寄せ集めの石塔部材を組み合わせた寄せ集め塔の先に、ひっそりと置かれていました。救いの地蔵菩薩と恐怖の秦山府君が彫られています。