脈々と受け継ぐ一心寺のエネルギー。
一心寺の特徴
仁王門にある仁王像が印象的で、境内は広々としています。
1185年創建の浄土宗寺院で、美術館のような独特な雰囲気が漂います。
JR天王寺から徒歩約15分、大阪の有名なお寺で多くの参拝者が訪れます。
国道25号線に面してあるお寺。子供の頃から母に連れられて来ていました。夫の両親も、このお寺でお世話になっております。納骨だけでも預かってくださいますが、永代供養にしていると毎年命日の前月になると案内ハガキが届き、そのハガキを持参すると無料でお経をあげてくださいます。いつもお参りされる方々で賑わっており、お世話になっている故人も寂しくないだろうと思います。一緒に来ていた人たちが順繰りにお世話になり、夫も先月他界しましたので、本日の義父の法要の際には複雑な気持ちでした。さみしいな。
お参りの方も多く、静かにではありませんが逆に先祖を敬う人のエネルギーってすごいなぁと脈々と命が受け継がれている事を改めて認識しました。
美術館のようなお寺でした。遺骨でできた仏像、山門の仁王像は圧巻です。御朱印は、300円で直書きをして頂けます。達筆で、「日想観殿」と書いて頂けます。駐車場:なし御朱印:直書き(300円)
〒543-0062 大阪府大阪市天王寺区逢阪2丁目8−69JR天王寺から北の方角に歩いて15分ぐらいの場所に一心寺があります♬浄土宗の寺院でして1185年(文治元年)創建されました。お寺の入口に短い坂(参道)がありまして登ると仁王門(山門)が表れます。大きな黒光りした門に仁王尊像が鎮座されています。見ているだけで有り難みがありますね。彫刻家の神戸峰男さんによる阿形像と吽形像が設計された仁王尊像の制作に少し関わりを持たして頂きましたので、ここに来ると何時も感慨深く感じます。この一心寺は明治20年にお骨佛が造立されて「お骨佛の寺」として親しまれています。お墓を持てない方々が一心寺にお骨を預け、このお骨を集めて砕き10年事に仏様のお骨佛(遺骨で造られる阿弥陀如来像)を作り祀っています。何時も多くの方々がお参りに訪れるお寺で人々の心の拠り所となっています。お寺で線香とローソクの販売をされています。ローソク立てで何時も線香に火を付けるのですが太めの線香で、なかなか火が付きにくいですね。火が付きましたら納骨堂の前に大きな線香立てがあります。しかし、毎回燃え上がっていまして線香が立てれない状態になっています。この納骨堂の中に鎮座している阿弥陀如来像が先程、書かせて頂きました、お骨を砕き集めて作られた仏様です。この阿弥陀如来像は極楽浄土にいて人々の苦しみから救済するとされる仏様ですね。阿弥陀如来は無限の智慧と命を持ち人々を救い続けるとされています。さまざまな世の中の事象をよく観察して、その正しい姿を思惟する深い智慧とされる妙観察智(みょうかんざっち)を持つとされています。\ufeff智慧とは仏教用語になります。智慧とは気づきを指すと言われています。知恵は本を読んだり勉強して得れますが智慧は経験や体験を通じて得て、それにより気づく事を指して経験、体験を積む事により自身の成長に繋げる事が仏教用語の智慧となります。お参りをする事で日々の自身の成長、感謝する気持ちが表れると思います。一心寺には境内の中にベンチがありますので、お参りをして少し休憩をして帰ります。広い境内に池がありまして鯉が泳いでいます春には桜が咲き乱れ綺麗なお寺です♬
こちらの一心寺さんは大阪でも有名なお寺さんです。四天王寺や大坂の陣(冬の陣では徳川家康、夏の陣では真田信繁の陣)で使われた茶臼山や真田幸村戦死跡のある安居神社が近くにあります。大坂の陣が大好きな私としては激アツなお寺、激アツ地域です!!!文治元年(1185)、法然(ほうねん)上人が四天王寺西門の西側あたりに、草庵を結んだのが始まりとされる浄土宗の寺院。後白河法皇もこの地で、西方に沈みゆく太陽に向かって念仏を唱え、極楽生涯を願う「日想観」の修行を行ったといわれる。現在の境内地は、秀吉の夫人高台院からの拝領によるもの。#徳川仙千代君の墓関ヶ原の戦いがあった1600年、徳川家康公の第8男仙千代君が夭折し一心寺で葬儀が営まれましたが、導師を務めたのは時の住職で、家康公と同郷三河の僧本誉存牟(ほんよぞんむ)上人でした。以来、家康公との結びつきが強く、1614年の大坂冬の陣では家康公の本陣が当地におかれた。#本田忠朝の墓本多忠朝は戦国最強と言われる本多忠勝の次男。1614年大坂冬の陣でも活躍したが、酒を飲んでいたために不覚をとり、敵の猛攻に遭って敗退した。それを家康に咎められた忠朝は、翌1615年大坂夏の陣のとき、汚名を返上しようと天王寺・岡山の戦いで先鋒を務め、毛利勝永軍に正面から突入し、奮戦したが戦死した。享年34。死の間際、「戒むべきは酒なり、今後わが墓に詣でる者は、必ず酒嫌いとなるべし」と無念の言葉を残したと言われています。死後「酒封じの神」として崇められている。忠朝の骨は分骨されて良信寺(良玄寺)にも葬られている。#真田の抜け穴一心寺にもあった?!「真田の抜け穴」井戸跡と伝承がある。鳥羽伏見戦死者の供養碑の裏側にあります。今は井戸には蓋がされてるので、中を見ることはできませぬ。#霧が降る松大坂夏の陣にまつわる伝承がある松。大阪夏の陣の時、真田軍の突撃を受けた徳川家康でしたが、一心寺にあった松の木が突如霧を吹いたそうです。これにより真田軍の勢いが鈍り、その間に幕府軍の援軍が駆けつけ、家康は一命をとりとめたとか。真田軍の突撃を受けた徳川家康が、あわやというときに、一心寺にあった松の木が霧を噴き出して、家康のピンチを救ったそうです。#御朱印一心寺さんの御朱印は寺務所でいただきました👏
名前 |
一心寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6771-0444 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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仁王門の仁王像が特徴境内も広く立派なお寺でした以前は参拝者用駐車場があったみたいですが、今はないそうです。御朱印は300円で直書きして頂けます。