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生田花朝(かちょう・1889~1978)は国学者生田南水(昭和9年没・俳画)の娘。大阪の女流画家。俳句ぐらいは詠むけれど。初期は「花朝」と号したが、「花朝女」と号するようになる。大正10年(1912年)、菅楯彦(すぐ近くに碑がある)に師事して、まず大和絵と有職故実(朝廷や公家の作法)を学んでいる。昭和2年(1927年)に、第8回の帝展に「四天王寺曼荼羅」(大阪城天守閣蔵)を無鑑査で出品した。その作品は、毎春聖徳太子の命日に開催される、四天王寺の聖霊会(しょうりょうえ)の様子を描いている。その他、四天王寺の行事や境内の様子を多く残している。宝物館で、彼女の描いた絵画を幾度か見たことがある。宝物館では写真撮影が出来ないので、お見せ出来ない。句は「行春の 島は人住む 煙かな」というものである。花朝の画風そのものを語っているような句である。彼女の句碑や句を刻んでいる場所を書いておく。大阪市天王寺区上之宮町4−40の、「上之宮台ハイツ」の建物の北側に「生田花朝女生誕地碑」がある。「百済野の むかしかたりや 霜の萩」と刻まれている。次のふたつは句碑。阿倍野神社(阿倍野区)には、「飯蛸や 春の景色は 淡路より」。生國魂神社(天王寺区)には、「餅花の 柳芽をふく 二月かな」となっている。『大阪文学の観光利用についての研究』関谷 大陸さんの研究、から引用している。絵は大阪城天守閣での撮影。