大正の歴史、猪飼野新橋。
猪飼野新橋は大正時代に耕地整理に伴い新たな平野川が開削され、橋が架けられた。その後、平野川改修工事によって現在の橋に架け替えられたとき、「歴史の橋」として整備したものである。親柱は、古代の墳墓の代表的形式である前方後円墳の形とし、高欄の支柱を勾玉の形としている。また、高欄には、日本書紀に記された「為橋於猪甘津即号其処曰小橋也」の14文字の銘板を配するなど、古代から開けたこの地を顕彰している。「猪甘津に橋為す。即ち其の處を號けて小橋と曰う。」これは、書物に登場する最古の橋の記述といわれ、「日本書紀」仁徳十四年の条の一節である。猪甘津(いかいのつ)は、現在の大阪市生野区付近と想定され、周辺には猪飼野や小橋(おばせ)という地名が残っており、このあたりの土地は古くから開けていたようである。なお猪甘津の橋跡とも伝えられる「つるのはし跡」の石碑が地元の人々によって生野区桃谷3丁目に建てられている。
名前 |
猪飼野新橋 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6615-6818 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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猪飼野という地名は、猪(豚)を飼育する人たちの地という意味で、今では、平野川に架けられている「猪飼野新橋」、市バスの「猪飼野橋」停留所、桃谷3丁目にある「猪飼野保存会館」にその名を残すのみとなっています。