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名前 |
都留弥神社跡地(御旅所) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
布施戎神社の片隅にある石碑は、かってこの地に鎮座していた都留弥神社の記憶をとどめているが、なんの説明もない。揮毫は力石 雄一郎大阪府知事となっている。このチカライシが知事であったのは1928年5月から1929年7月までの短い期間で、田中義一内閣の辞職と軌を同じくし政権が終わると力石も辞任し退官する。ちなみに4年後1933年に56歳で亡くなっている。その在職のわずか一瞬のような仕事がこうやって石に刻まれ、やがて消えていくのが感慨深い。一方で、神仏を統合した政府の方針で近隣の12ほどの神社がここから1キロ離れた都留彌神社(東大阪市荒川)に1914年、移動させられ存続し今に至る。また、空き地になったこの場所には勧進してきた戎を祀る社となったから、非常に若い。人の記憶は移ろいやすく、親の代の事があたかも日本の過去の全てのように思うけど、この新旧どちらの神社の経緯を見ても、なんとなく始まり人の都合で神は代わり成長しては滅びていく縮図を見ているようだ。1914年に布施駅から近鉄奈良駅が開業して、この辺りののどかな田畑が住宅街に変わっていく先駆けだったのだろう。元の神様の由来はもはやわからないが、現世利益を追求した戎さんになったというのはいかにも当時のこの地の人々の好みだろう。日本の人口は明治から産めよ増やせよと殖産興業を進めたが、今また人口の減少が進む中で神もまたどうなる事だろうか。