名前 |
蛤辻子 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
観光地となっているがなにかいわれがあるのかと調べてみるが良くは分からない。今はすたれてしまったが、奈良晒の一大拠点であった。井原西鶴の好色一代男にも(17歳 奈良木辻町の事)晒布が紹介されている。❶【メモ 蛤辻子 奈良内侍原町諸事記録控 1985年】蛤辻子(はまぐりずし)永門蛤町と記載ある(文政2年・1890年) “御神楽寄附入用帳”俗にいう蛤辻子は押上町の東側に在り。尼崎橋のことである。”奈良坊目拙解”❷【参考 奈良晒 日本山海名産名物図解(寛政) 1970年】麻の最上は南都也。近国より其の品数々出れども、染めて色よく着て身にまとわず、汗をはじくゆえに世に奈良晒とて重宝する也。植えの字うえし判は生平(きひら)の時の改め判なり。云々・・省略。