豊臣秀頼・淀殿の自刃の地。
秀頼・淀殿ら自刃の地の特徴
極楽橋を渡った先の歴史的な場所です。
大阪城内の山里丸に石碑が建てられています。
豊臣秀頼と淀君が自刃した重要な史跡です。
2025.10.2大阪城を見に行ったが、極楽橋を渡って少しの所に碑が立っていた。
大阪城公園の一角にある、豊臣秀頼と淀殿が自刃したと伝わる場所。石碑が建てられていて、静かに手を合わせる人もいました。大阪夏の陣の悲劇をあらわす場所です。天守閣に目が行きがちですが、こうした史跡を巡ると歴史の重みを感じられておすすめです。ひっそりとした雰囲気で、歴史好きには外せない。千姫が逃げた際に渡ったといわれる極楽橋も必見。
大阪市によって「秀頼・淀殿ら自刃の地」の碑が大阪城内に建てられていました。「秀頼・淀殿ら自刃の地」とは豊臣秀頼と淀殿(茶々)が慶長20年(1615年)5月8日に自刃した場所で、大坂城の山里丸の一角にあります。具体的には大阪城天守閣の北側石垣付近とされています。ここは、大坂夏の陣で徳川軍に追い詰められた秀頼と淀殿が、自害した場所として伝えられています。
石碑には「豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地」とあります。「淀」には敬称「殿」が付き、「秀頼」は呼び捨てですが、戦国時代では、あえて実名で呼び捨てにすることで、最上級の敬意を表すことがあります。
史実があまりにドラマチックで、やはり立ち寄ってしまいますね。浅井(あざい)3姉妹の長女淀君、「どうする家康」でもなかなかの骨太の演出でしたね。
豊臣秀吉が築城し、大坂夏の陣で落城した城跡に土を盛って作られたのが、現存する徳川時代の大阪城。天守閣の位置はことなるそうですが、山里丸の位置はほぼ同じ場所のようで、1997年に記念碑が建てられたとのこと。諸行無常を感じます。南無阿弥陀仏。
天守閣北にある山里丸に秀頼公と淀君自刃の石碑がひっそりと建っている。若くしてこの地で命を絶った秀頼公の内心を思うと感慨深い。徳川の臣下には下らないと言う意地は通したが豊臣のプリンスとして辛かったろう、悔しいかったろう。人通りも少なさがまた思いを深める。
2023年11月に訪れました。NHK大河ドラマ「どうする家康」では、いよいよ大阪夏の陣の場面が放送されます。歴史に思いを馳せながら、秋の大阪城を散策しました。
| 名前 |
秀頼・淀殿ら自刃の地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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極楽橋を渡ったあたりは山里丸と呼ばれた曲輪です。大阪城落城の際に淀君たちはここで自害されたと言われています。現在は賑やかな大阪城公園でも人のあまり来ない静かなエリアになっています。