歴史を感じる平坦な草むら。
第二次大極殿跡の特徴
第二次大極殿跡は、石組みと植樹が美しい空間です。
広々とした草むらでワンちゃんのお散歩に最適です。
平城宮跡の歴史を感じられる貴重な場所です。
朝ここで太極剣をしている叔母様達が見れます。
聖武天皇(生まれた時の名前は首親王)は、701年9月18日〈大宝元年8月12日〉にお生まれになり、756年6月8日〈天平勝宝8歳5月2日〉)御崩御された。日本の第45代天皇であり、在位は724年3月3日〈神亀元年2月4日〉から、749年8月19日〈天平勝宝元年7月2日〉である。平城京は藤原京から遷都された。文武天皇時代の慶雲4年(707年)に審議が始まり、和銅元年(708年)に元明天皇により遷都の詔が出された。和銅3年(710年)3月10日(旧暦)に遷都された時には、内裏・大極殿その他の感謝が整備された程度であったと考えられている。寺院や邸宅は、長岡京に遷都するまでの間に段階的に造営されていった。恭仁京や難波京への遷都によって、平城京は一時的に放棄された。745年(天平17年)に再び平城京に遷都され、その後748年(延暦3年)に長岡京に遷都されるまで、政治の中心地であった。「南都(なんと)」という言葉は長岡京に遷都された後にそのように呼ばれた。公仁元年(810年)9月6日、平城上皇によって平安京を廃して平城京へ再び遷都(3度目)する詔が出される。これに対して、嵯峨天皇が迅速に兵を動かし、9月12日平城上皇は剃髪した。これを「薬師の変」と呼ぶ。これによって平城京への再遷都は実現しなかった。薬師の変以後、平城京跡地は往時の姿を維持することはできなかった。9世紀末に宇陀乗降が南都へ逍遙した際には、すでに農村と化していたとされる。短期間に遷都があった理由として、国情が安定しなかったことを、聖武天皇が遷都で解決しようとした事があげられる。遷都されて二度平城京が奈良に出来たために、大極殿が二度建てられたので、第一次と第二次になっている。
第二次大極殿跡の方が、第一次大極殿よりも、より想像力をかきたてられる。南を見れば朝堂院などの政府機関が整然と並び、威容が感じられる........後ろを振り返れば巨大な内裏だ。前方を見れば天平人がなんだか優雅に歩いている…......第二次大極殿基壇上で昼飯を食べ終え、前を見ると朝堂院も天平人も影かたち無く、ただ延々と野原が続いているだけだ。
第二次「だいごくでん」跡と読みます平城京の政治の中心施設です第一次大極殿の第一次とは、平城京造営当初のものという意味です第二次というのは、784年に長岡京へ遷都する以前に、都が紫香楽宮や難波宮に短期間移転しておりその際に大極殿もそちらに移築されたそうですそして結局また平城京に戻って来た時には第一次と同じ場所ではなく第一次とは南東に500メートル程はなれたこの場所に移築されたものを指すそうですなので建物の復原はこの第一次の場所で710年の平城京造営当初の形でなされており、この第二次大極殿の跡の方は基壇の復原だけがなされたというわけですまるで土の下から出土した本物の基壇のようですが、全て復原されたものだそうです。
第二次大極殿跡は過去の建物跡に石組みと植樹された空間です。再現された大極殿は別に北西にあります。宮城の中でも一段と高いところに位置していたのかして、宮跡内を見渡せる見晴らしのよい場所にあります。敷地は広く、柱跡には丸石が敷かれてあり、古代を思い浮かべることもできます。ただ広い空を見上げて散策する公園としても有効に機能しています。ジョギングするひと、犬の散歩にくるひと、野鳥を追うひと、キャッチボールをするひと、さまざまなひとに憩いを提供しています。春の桜が満開となるその頃は混み合います。葉桜になりかけた頃の方が落ち着くかもしれません。数年前に国有化される以前は奈良市民が草刈りなどをしていることもありました。
ワンちゃん散歩に毎日利用しています。
千葉から伊勢・奈良の寺社巡りの旅で2022/6/4、平城宮跡を訪れました。遺構展示館の駐車場(無料)の南側の内裏の先にあります。天平17年(745年)聖武天皇が紫香楽宮から戻って、第一大極殿があった西区の隣の東区に第二次大極殿を造りました。この大極殿の南側に東区朝堂院、さらに南側に朝集殿院があり、近鉄線の線路渡ったところにある壬生門まで続きます。いまは大極殿、朝堂、壬生門の土壇が残っているのみで、広々とした広場になっています。
ただの草むらですがこんなに広い平坦な草むらってなかなか無いと思うので貴重です。自転車で南北に走ってみましたが途中排水の溝にハマってしまいました!特にダメージは無かったです。元々あった遺構なのか分かりませんが草地を北に進むと石組の基礎みたいなのが残っていて巨大な石碑が迎えてくれます。取り敢えず何も無いけど大きな史跡という事で史跡好きには心踊る場所だと思います。夏場に行きましたが日影がほとんど無くとにかく暑いです。
平城宮跡の西半分の第一次大極殿跡は国土交通省に移管されてテーマパークに変貌していますが、東半分は文化庁の管理で自然が広がり歴史も想像する楽しみがあり、私にはこちらが好きです。自然を壊さないと収まらない国土交通省というものがよく分かります。かつええ加減な映画村みたいなものはいただけない。どうか草原を守って!
| 名前 |
第二次大極殿跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| HP |
https://www.heijo-park.go.jp/area/east/fukugen_midokoro/#midokoro02 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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「第二次大極殿跡」は、奈良時代の都・平城京の中心だった場所の一つで、初期の大極殿が使われなくなった後に新たに造られた“第二の正殿”です。いまは建物自体は復元されていませんが、広大な基壇跡がしっかり残っていて、当時のスケールの大きさを肌で感じられます。周囲は芝生が広がり、のんびり散歩や写真撮影にもぴったり。近くの第一次大極殿や朱雀門とも合わせて見学すれば、古代の都の中心部を歩くような気分になれます。