奈良時代創建の国宝、転害門。
東大寺転害門の特徴
創建は756762年頃で、歴史深い仏教寺院です。
国宝に指定されている重要な門の一つです。
案内の方が門の価値について丁寧に説明していました。
東大寺転害門(てがいもん)は、奈良時代創建の天平建築の貴重な遺構です。2度の兵火を免れた現存する国宝です。正倉院の西に位置し、奈良県道754号に面しています。北上すると奈良坂となる道路です。三間一戸八脚門(さんげんいっこのはっきゃくもん)の形式を持っています。「三間一戸八脚門(さんげんいっこはっきゃくもん)」とは、間口が三間(約5.4m以上)で、中央の間だけが通り戸になっている門の形式で、さらに4本の親柱の前後に控え柱が各2本(合計8本)立つ構造を持ち、その8本の柱で支える屋根が乗った寺社建築の門の一種です。転害門が有名な形式で、普通は四脚門に両側を拡張したような形式で、仁王像が安置されます。天平時代の東大寺伽藍の姿を今に伝える「天平の香り高い」雄大な門です。1180年(治承の兵火)と1567年(三好・松永の戦い)の火災を逃れた数少ない建物の一つで、奈良時代の東大寺の姿を伝える唯一の遺構です。天平時代の八脚門の代表例で、切妻造(きりづまづくり)、本瓦葺(ほんがわらぶき)の堂々たる構造です。平城京の佐保路(さほろ)に面していたことから佐保路門、また源平合戦の伝説から景清門(かげきよもん)とも呼ばれます。南北約15m、東西約7.73m、高さ約11mの壮大なスケールを持ち、その曲線美は天平建築の特徴を示します。門の柱や礎石には盃状穴(はいじょうけつ)と呼ばれる穴が多数あり、古代の信仰(密教や呪術的な意味合い)との関連が指摘されています。①子孫繁栄・生産の祈願・②病気平癒・厄除け・③道教的信仰との関連・④子供の遊びの跡 などの説があります。東大寺転害門の盃状穴は、その歴史的価値ある建物の一部でありながら、公式な記録に残っていない一般庶民の素朴な民間信仰の痕跡として非常に興味深い存在です。江戸時代後期にはすでにその信仰の理由は忘れ去られていたという記録もあり、現代においては「忘れ去られた信仰の石」とも称されています。転害門の近くには、天平建築を意識して建てられた旧南都銀行手貝支店(現・奈良市きたまち転害門観光案内所)があります。東大寺の他の主要な建築物(南大門や大仏殿など)が兵火で焼失し、鎌倉時代以降に再建されたのに対し、転害門は創建時の姿を比較的とどめているため、「天平の生き証人」とも呼ばれます。毎年10月5日に行われる「転害会(てがいえ)」という例大祭があります。東大寺大仏建立の際に、守護神として宇佐八幡宮から勧請された八幡神が、転害門を通って祀られたことに由来します。主な行事としては、まず「手向山八幡宮」にて神事が行われます。神輿迎えといって、転害門(てがいもん)にて、神輿を迎える神事や舞楽の奉納が行われます。2.3キロ徒歩で30~40分かかる距離です。法要後に、東大寺八幡殿では、通常非公開の国宝「僧形八幡神坐像」特別開扉される習わしになっています。転害門付近は、東大寺境内では静かな場所なので、穏やかな気持ちで過ごすところとして最適な場所です。
東大寺転害門は奈良時代創建で当初の姿をとどめていて国宝に指定されています。手向山八幡宮の祭礼ではここに神輿が安置され、安置する石が据えられています。大注連は近郷有志の奉納だそうです。
東大寺のはずれ、かつての西築垣の北の門で平城京の佐保路に面していたことから西北大門、佐保路門とも呼ばれた三間一戸八脚門主要伽藍から遠いせいか平日だれも観光客はいなかったが、天平の創建当初の姿を留めるものとしては他に法華堂と正倉(宮内庁管理)くらいしかなくすこぶる貴重当然国宝で全体のフォルム、柱や組物に時代の特徴を感じてほしい大仏造立のため宇佐から招かれた八幡神の神輿がとどまった故事から現在も行われる東大寺鎮守手向山八幡宮の転害会の際神輿を置くための礎石が床の上に設けられていた。
平家の焼き討ちを免れた門です。肘木など大規模改修など 時代で形状の違いを見るのも面白いです。1300年前の柱もそのまま1本残っています。
交通量の多い京街道(奈良街道)に面して建つ立派な門。現在の東大寺伽藍からは少し離れていますが、天平時代、創建当時の東大寺の姿を現代に伝える遺構です。門自体に立ち入りはできませんが、注連縄の張られた門構えは堂々としたたたずまいで、南大門などにも劣らない風格を感じさせます。門の脇をくぐって鼓坂を登っていくと正面に正倉院、右手に大仏殿が見えてきます。
創建は756-762年頃という。転害門は後の時代に修理は加えられたが、三月堂(法華堂)と共に東大寺に現存する正真正銘の奈良時代の建造物だ。大仏開眼供養が752年、鑑真来日が753年、時の天皇は聖武、孝謙(称徳)、淳仁の頃である。この不死身の門は平重衡の南都焼討1180年、戦国前期1567年の松永久秀と三好三人衆の戦闘でも、奇跡的に生き残った。鎌倉期に大規模な改修、1931年には解体修理がされたが、基本的には奈良時代のオリジナルの建築物だ。柱には弾丸、刀剣の傷跡。思わずその日にタイムスリップしてしまう。1250年間も風雨にさらされ、痛んだ柱の傷に、はるかな時の流れを感じる。現在まで生き残った東大寺 転害門にただただ感謝する。
案内の方が歴史的に重要な素晴らしい門だと理気説されてました。確かに素晴らしい!人が少ないのも良いですね!
国宝。5月3日は唯一僧の行列がこの門を通ります。東大寺は火事が数回起こっていますが、一度も被害を受けず創建された756年当時の姿を残す貴重な門なのですが・・・観光客はほとんどこない。見どころは柱に残る矢尻のあと節が残る南西隅の柱、扉がないところです。
普通に通り過ぎました。信号機の交差点名で気がつき、二度見しました。ふつーに建っています。
| 名前 |
東大寺転害門 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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東大寺の転害門を訪れました。東大寺の数ある建築の中でも、創建当時から残る貴重な建物で、静かな佇まいが印象的です。訪問時にはガイドの方が丁寧に説明してくださり、歴史的背景や建築の特徴をわかりやすく教えていただきました。何気なく通り過ぎてしまいそうな場所ですが、改めて聞くと奥深く、奈良の歴史を感じられる素晴らしい体験でした。