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名前 |
窪田空穂 歌碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
『吉田松陰七生説の碑』と『金子重之助顕彰碑』の手前に建てられた歌碑です。歌を詠んだ窪田空穂は歌人であるとともに国学者としても有名な方です。大正9年秋、柿崎弁天島に訪れた折、窪田空穂が吉田松陰先生を偲んで歌を詠んだそうです。石碑には「心燃ゆるものありて踏む夕波の寄り来て白き柿崎の浜」と刻まれています。この「心燃ゆるものありて」とは、吉田松陰先生や弟子の金子重輔の踏海の企てに思いをはせたものと伝わっています。下田の潮風と強い日差しで刻まれた歌は読めなくなっています。でも、黒船ペリー号への踏海の企てから5年後に吉田松陰先生は30歳の若さで、弟子の金子重輔はこの企ての翌年25歳で獄中に没しています。そうした事を思うと、読めない石碑から歌を詠んだ歌人の気持ちが伝わってきます。