桜咲く難波宮の遺跡探訪。
難波宮跡の特徴
歴史的な大化の改新から奈良時代を感じられる場所です。
難波宮の遺跡保存目的の公園で、訪れる価値があります。
桜が美しいシーズンに散策するのもおすすめです。
聖武天皇だから奈良時代のみやこ。平城京やら、恭仁京(くにのみやこ)やら、藤原京やら、混同してしまう。大陸の大国と対峙していて、東にある日の上る国として頑張っていたころです。9月は暑すぎて、歩いて、難波の宮跡の大きさを確認することはできませんでした。その代わりに、歴史博物館9階から下に下がっていく展示を見ながら、上空から難波宮跡を観光した。イメージがつかみやすく、良かった。大坂、いい方法を思いついたなと感心した。
難波宮の遺跡保存を目的とした公園。大極殿基壇(宮殿の土台部分)が再現されているが、大半は広い原っぱ。ピクニックや子供たちが駆け回って遊ぶのに良いと思う。こういう場所が都市の真ん中にあるのは、理由があるとは言え、素晴らしい。
大化の改新から藤原京に遷都されるまで日本の首都でした。大阪城と目と鼻の先に古代日本の首都があったとは、とても感慨深いです。現在は公園となっており、一部内裏跡に柱の発掘跡が保存されていますが、展示や復元は全くされていません。公園の外にそっと解説する看板が鎮座している程度です。なので入場料はなく無料で見学できます。この場所も遺跡として発見されたのは戦後の比較的最近で、戦前は軍用地であったため発掘調査はできませんでした。日曜日に訪問しましたがピクニックをする人、読書をする人、子供連れの市民でとても賑わっていました。詳細については近くにある大阪歴史博物館を見学すると良いでしょう。大阪城公園から歩いて歩い廻れる距離なので、歴史に興味のある方は大阪観光に是非お勧めです。
大阪に宮城(皇居)が有った事を知らない人は多い大化の改新後、大和(奈良)から遷都するも皇太子であった中大兄皇子(後の天智天皇)が波の音が煩いと叔父である孝徳天皇を置きざりにする形で奈良に戻った。と、言われている事から当事はこの辺りの近くまで海岸線があったとうかがえる。
この場所は大化の改新の645年から150年くらい首都、副首都であったとのこと・・・詳しくはここから少し歩いたところにあるNHKの横に大阪歴史博物館がありますのでそこでわかると思います。現在は大極殿跡があり後はだだっ広い緑の敷地という感じです。ウォーキングするのにいいと思います。アスファルトの上を歩くのではなく芝生の上を歩くのは気持ちいいです。今日は自転車で来たのですが中央大通りから南側に自転車をとめるところがあります。北を見ると大阪城、ビジネスパークのツインビル南を見るとタワーマンションがあり眺めがいいです。一周して1600〜1700歩、一歩が50センチメートルと考えて約800メートル、トラック2周分です。歩いていたら時々野鳥が飛んで来たりします。ずっと前にここでソフトボールをしたことがありますが看板に球技や打ち上げ花火はしないようにと書いてあり今はだめなのかもしれません。この広い敷地で凧上げをする人がいるようで木に凧上げのたこと糸がからまっているのを見ました。
たまたまお休みの日に好いお天気なの、なにげなく訪ねてみると桜🌸がいいカンジで咲いていました。修学旅行の一行なのか、先生らしき人2〜3人と生徒が12人の人達が後期難波宮の大極殿跡の石造りの基壇に上がったりして記念撮影もしていました。天気の好い日には大阪の中心部に、公園ではない此処でゆっくり時間を過ごすのも好い気分転換になるでしょう。たまには奈良とはちょっと違う『クニのまほろば』で想いにふけるのもなにかの発見になるカモ…ですね。😉😉😉ぼーーっと ですけどなんかすっきりしました。
名前 |
難波宮跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6469-5188 |
住所 |
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HP |
http://www.pref.osaka.lg.jp/bunkazaihogo/bunkazai/naniwamiyaatokouen.html |
評価 |
3.8 |
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歩兵第八連隊の衛戍地でした。区画は当時のままです。兵舎は70年代迄残っていたそうです。西の大阪医療センターは歩兵三十七連隊の衛戍地。第四師団所属で、師団司令部はミライザ大阪として現存しています。歩兵第八連隊また負けたか八連隊、勲章一つも九連隊、敵の陣屋も十連隊、これでは戦は八連隊大阪出身の兵隊は弱いと他兵団に云われ、天下の難物三部隊に数えられたものの、大阪師官区編成の各兵団で玉砕した兵団はほぼ皆無大阪兵団の武勇伝も調べたら色々あります。難波宮跡の一角に歩兵第八連隊跡の史跡があります。何かと古代の歴史になりますが、明治~昭和の大阪の一面を知れる場所でもあります。