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名前 |
愛宕将軍地藏堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
森河内新町(森河内東2丁目)にある、こちらの愛宕地蔵さんは、非常に立派で、他にはあまり無いように思います。愛宕さんは、戦国時代には将軍地蔵で、室町幕府(足利家)の信仰厚く、勝負の軍神として武士は特に信仰していました。江戸時代になって平和になると、火伏せ・火難除けなど、守り神としての対象に変化していきますが、元は軍神です。そのため、像は、甲冑を身につけて、武器を持っています。こちらの像は、右手に錫杖、左手に宝珠をお持ちのようですが、訪ねた時は、前掛けをつけてもらっていたので、その様子を見ることはできませんでした。江戸時代の中頃、宝永元年(1704)に大和川の付替によって、河内国内の自然環境は大きく変わりました。それ以前は、長瀬川の水量が多く、今の森河内新町は川の中にありました。大和川の付替後に新町付近は開拓されて、今のような状況になります。ですので、この勝軍地蔵像は、どこからか(同じ森河内の本郷か)移転してきたものです。森河内は、織田信長が生きていた戦国時代には、水陸の要衝でもありましたので、戦の時には、陣所として使われており、この勝軍地蔵や八幡神社などは、必ず武士が参拝していたことと想像します。室町時代は、どちらも武士に篤く信仰されており、素通りはしない筈です。何れにしても、この将軍地蔵像は、非常に立派で、材質も硬い石が使われており、他ではあまり無く、珍しい石造物のように思います。また、付近には、この旧長瀬川沿いに、御厨、中小阪、稲田、八尾の中田などに愛宕社があります。