日葉酢媛命の古墳を探訪!
佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)の特徴
佐紀陵山古墳は前方後円墳として全長207mの大きさが魅力です。
日葉酢媛命の陵墓は、女性の祭祀の象徴としての重要性を物語ります。
佐紀盾列古墳群の一部として、日本最大級の古墳群に位置しています。
近鉄西大寺駅北口から東進み川を渡り北進400メートル東側に進むとある天皇陵。
成務天皇陵に食い込む形で立地している、「垂仁天皇皇后」日葉酢媛命の陵墓です。少し狭い拝所には、かなり古そうな石碑(写真7枚目)がありました。ただ、石碑には「狹木寺間陵」と書いてあるものの、看板(写真5枚目)には「狹木之寺間陵」とあり、細かいことですが違いがあります。墳丘西側を通る道から石塁で保護されたなにか突き出た箇所がありますが、奈良県遺跡地図によると造り出しではないようです。私事でどうでもいいですが、日葉酢媛命の す にわざわざ 酢 を充てるのは意地悪だと思ってます。
佐紀陵山古墳に行ってきました。大和西大寺駅と平城駅の間に有ります。奈良ファミリーや小樽食堂が目印で少し階段を登った所にありました。古墳の手入れがされていてとても綺麗でした。ウォーキングやランニングにとても最適な場所でした。
垂仁天皇の皇后宝来山古墳(垂仁天皇 菅原伏見東陵)日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の陵墓、成務天皇陵のすぐ隣景行天皇と倭姫命の母、丹後地方の勢力と女性の祭祀の象徴と感じる雰囲気。
大和西大寺駅から歩いて15分倭姫様のお母様の御陵です。池に亀さんや小さなお魚さんが住んでいました。大きなサギもいます。
平城宮後の北側に広がる日本最大級の古墳群である佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群に立地する全長207mの前方後円墳。宮内庁より第11代垂仁天皇皇后の日葉酢媛命の陵墓と治定されており、佐紀陵山古墳とも呼ばれています。隣接する成務天皇陵、称徳孝謙天皇陵と合わせて『佐紀三陵』と呼ばれています。最寄駅は近鉄京都線平城駅で徒歩6〜7分の距離なので見学しやすいです。近隣には、佐紀盾列古墳群の全長200mを超える6基の古墳や平城宮跡もあり、頑張れば徒歩でも見学可能で歴史溢れる佐紀路が楽しめます。2023年11月2日に来訪しました。
古墳群全体がよく管理されていて、地元の方の散歩道になっています。近鉄平城駅から徒歩圏内で、リュクを背負った歴史好きが探索している姿をよく見かけます。箸墓古墳のように、そろそろ宇宙線で内部を調べてほしいですね。
倭建命の2代前ですね。お堀を介して鳥居があります。このあたりはトイレが無く、自動販売機も少ないのでご注意くださいね。
佐紀順列古墳群を形成する前方後円墳で、宮内庁による治定では、垂仁天皇の皇后である日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の陵墓とされています。垂仁天皇の陵墓は、近鉄尼ヶ辻駅付近にある大きな前方後円墳ですので、治定のとおりなら、夫婦揃って大きな古墳に埋葬されていますね。埋葬にあたっては、それまでの殉死の慣習を改め、人や馬の形をした埴輪を埋葬するようにしたと伝えられています。
| 名前 |
佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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被葬者不明ながら日葉酢媛命(ヒバスメ)陵とされる前方後円墳 第11代垂仁天皇の后にして景行天皇の母であり 伊勢の地へ天照大神を遷したとされる倭姫命(ヤマトヒメ)の母でもあります殉死を禁じ埴輪を人の代わりとした初の古墳とも 云われていますが人形埴輪は見つかってなく考古学見解では否定されています築造年代は4世紀中頃〜末とされ 真陵であるならば垂仁天皇より後に亡くなった「古事記」の記述が正しいという事になります墳丘3段 全長207m(2009年の調査では もう少し短くなる可能性あり)大正時代に盗掘があり(盗品は無事回収)怪我の巧名というか 陵墓でありながら かなりの修復 調査が行われ 詳細かつ貴重な資料となり 巨大な竪穴式石室(8.55mⅩ1.09m)をもち 長大な木棺であったとされ 銅鏡をはじめ多種に及ぶ出土品が認められています来て見て驚いたのは古墳西側の"造出"が間近で見れた事神功陵は"造出"の初期事例と謳われているものの調査が進むにつれ築造年代が下がっています 当古墳も初期事例には変わりないと思いますが 人物としての年代は日葉酢媛命の方が古いので 此方が先かも🤔"造出"早いのはどっちなんだい💪😁パワー。