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名前 |
森城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
土居の北西、和田に接する花瀬山に有り土豪森氏が居した中世の山城跡。現在、城地と考えられる所に城山・城ツルイの地名が残る。【南路志】によれば森氏は近江国鏡山の城主であったが森近江守頼実のとき当地に定着し築城、土佐郡二千貫の領主となった。その後、頼実は長岡郡本山を本拠地とする本山氏に度々攻撃され、天文13年(1544)和田一族と結んだ本山勢に攻められ当城で討死した。その子千松丸(考頼)は、この難を脱し長宗我部氏を頼って岡豊へ行き、のち潮江城の城主となった。【森氏系譜】によれば文安元年(1444)頼宝のとき当地に移り(初代)、頼満を経て、永正元年(1504)三代頼茂のとき築城して旭の城と称し、天文13年(1544)四代頼実は本山氏に滅ぼされた。しかし五代考頼は逃れて長宗我部氏に臣従するが、故地を回復、六代頼清の天正14年(1586)当城は焼亡し、同年頼清は豊後戸次川の戦で死亡、その後子孫は長宗我部氏没落とともに瀬戸村で帰農したと伝わる。【日本歴史地名大系 第40巻 高知県の地名より引用】