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名前 |
池田新道の標柱 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
本坂通り(姫街道)池田道跡の標柱です。江戸方面から京方面に向かう場合、天竜川(大天竜)池田渡船から一旦南に進み、東海道を西に進み、安間追分から本坂通り安間道を北に進んで市野宿に至る経路が本来の本坂通りでした。しかしこれでは大回りでしたので、池田渡船から直線的に市野宿に向かう経路として、この辺りに池田道が形成されました。しかし明和元年(1764年)頃からは東海道浜松宿から三方原追分三ツ辻を経て気賀宿に向かう経路が主流になった為、池田道も廃れていったそうです。池田道は池田早道とか池田新道とか呼ばれる事もありましたので、当地の標柱には池田新道の名称が書かれています。東名高速道路浜松ICの建設、それに伴って増えた流通倉庫や工場の建設、更に宅地造成などによって、池田道はその大部分が消失区間となってしまいました。標柱の立てられたこの辺りは現存区間のようですが、少し東西に移動するとすぐに消失区間になってしまいます。この辺りも旧姫街道の一部だった事をご存じない地元民も多くいらっしゃるようですので、この標柱が少しでも歴史を知るきっかけになれば素敵な事だと思います。