メソポタミアの海神を真似た神社。
住吉神社の特徴
下った先にある神社で、珍しさ満点の境内です。
神功皇后がメソポタミアの神を模して創った歴史的な神社。
住吉大神を祀る国弊中社として、使命感ある神事が行われます。
参拝トリビア💡カラス斉天狗より『どなたのハッタリか、知らぬが・・・この社は、神功皇后が、メソポタミアの海神を真似て作った神社』『海神ネプテューヌス様を妾が崇めても良いな』で、創られたドッキリ神社。神の社を作る際は、神社の在り方を繋げる神社庁の庁儀の神降ろしにより、決めるが、勢いに乗った神功皇后は、一晩中馬や人を走らせ、自分の神業を無駄遣いして「人晩社を作ってしまった(太古よりタブーである)」・・海の藻屑に生らぬように念じてあるが、罪を恐れぬ神功皇后は、『朝鮮よ、許したもれ』『願いは破却した』『日の本を合併せしめる我らの願いは砕けた』『せっかく、ソナタらの秘技により、神に仇為す神功皇后は、愚かなるが、日の本を守護せねばならぬ』『神功との……当たり前か、こちらにも千曳の岩が突如現れ大惨事よ……鵺が甦った』『もはや朝鮮の地は機能せぬ。そちが訪れて支配されよ。その時に我と子を成したまえ』『それは赦さじ!既に幾夜を過ごしたモノを、まだ辱しめるか?』『ワレ、北の朝鮮の神であるぞ?』『人と子を成すなど出来ぬわ!さては主、ただの神憑りだな?…もはや会話も成せぬか。愚かなり我が身よ…』・・・のちに、放置されてたこの神社。アフラマズダがヨダレを足らす程、神光りを成した神功だが、メッキが剥げた。こちらは→『狐憑きだった』神業を成したり、長生きしたり、鳳凰に色目を使ったり・・・色々な事を成したが、結局は、『取り憑かれて長生きした神功皇后。八百万は認めておらぬよ』『改心してもキリがない狐。このままでは日の本に居られぬ・・と早々に討ち滅ぼされた』『神社トリビア💡ここから勝利の船旅が!勝利をもたらした!とあるが、これは、「神の力は借りずに、全て、人の人力で成した、正に神業!神功は関係無いのが、神代の史実」』ごらんのように、高貴に崇められてるが、まだ菅原道真の方が高貴である。次に那須与一。次にエドマリス王(これ海外)。次に八百万。………保管の出来ない身を持つFもおるが、な。ただいま令和6年9月末より神結びの朝議真っ最中!この社に誰入れる?には、エドマリスが手を挙げてるが理由が意味不明。なので、偽りだった壹岐の月讀神社と同じように、変わりの主祭神を入れておく。普段と変わらず過ごせ、神主。求める加護を全て与えて、壹岐の土地を生き返らせよ。『神は社を渡る』この意識を忘れるな。見てもいる。憐れにも思うがな。『この神社には、境内には名前をそのまま貸してやるが、元々入っておらん!壹岐の土地を蔵王権現が見守ってたにすぎん。祭殿の主には、不恰好なヒノカグツチを入れておく。頭は弱いが喜作な神だ。祝詞は変わらず、神主が多少気に掛けてくれ。生け贄や依り代には興味無い。酒は大月とかないか(笑)?』
本堂は造り替えたのか柱がキレイでした。行ったときたまたま神輿が出てきて奉納祭みたいなことをやってた、壱岐の中で歴史を感じる場所です。
禊や海上交通・農業等を司る住吉大神を祀る国弊中社。神功皇后が三韓征伐を成し遂げ凱旋のおりに壱岐に上陸して住吉三神を祀ったのが始まりとされ、日本初の住吉神社と称されてます。当初は半城湾に鎮座していましたが「波音の聞こえない静かな場所に」との御神託を受けて現在の地に遷座されたようです。国道382号線から少し下った所にあり、確かに静かな場所に鎮座しています。平戸藩主 松浦鎮信公が寄進した二の鳥居をくぐると立派な拝殿が見えてきます。神池と呼ばれる池の中にある小さい祠(竹生島神社)には神功皇后三韓出兵の陣鐘があると云われ、明治時代に17面の神鏡が掘り出されています。夫婦クスノキを始め多くの巨木に囲まれた、古くから崇拝を受けていた神社です。
前日にお参りした聖母宮の宮司さんから神楽が観られると聞きお参りしました。静かな時と神楽が不思議な空間を生み出していました。
名前 |
住吉神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0920-45-3002 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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神社では珍しい下った先にある神社。かなり由緒も古いらしく雰囲気もいい。御朱印は初穂料を納めて書き置きを各自持って帰るスタイルだが、お釣りに使うためなのか小銭まで用意されていて驚いた。