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名前 |
東本陣公園 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
訪問日 2024/5/18袋井宿には、東•中•西と三軒の本陣があり、東本陣は「壱番御本陣」とも呼ばれていました。東本陣公園は、平成3年度の発掘調査により、建物の一部が発見され整備された場所です。園内は、本陣の間取りが解るように配列された石や芝生、庭園や門などが作られ当時の雰囲気を伝えています。「本陣」とは、一般の人は利用できず、大名や家臣などの武家•宮家•公家•位の高い僧侶等が休憩したり、宿泊したりする施設のことです。その構造は、格式を表す門構えと玄関があり、内部に高貴な人様の部屋「上段の間」(天井が高くなり、床が一段上がっていて違い棚があったりする)を設けていました。袋井宿には、東本陣「田代家」中本陣「大田家」西本陣「大田家」の三軒があり、この内、最も規模が大きかったのが東本陣で、敷地の坪数は1.068坪(3.530平方m)、建坪288坪(952平方m)の建物群があり、街道に面した間口が13間半(25m)、奥行き31間(57m)もありました。殿様が泊まる場所で、さぞ儲かったかと思いきや本陣の宿泊料には基準が無かったそうで、基本「御祝儀」という性格の物でしかなく、金銭だけでなく羽織や反物も多かったようです。幕府からも補助はありましたが、維持費だけでも赤字だった様です。結局、名誉職のようなものだったみたいです。袋井市郷土資料館に、東本陣のジオラマが展示されていたので写真をのせておきます。東海道を歩きながら、当時の景色に思いを馳せました。