零戦の大きさを体感!
阿見町 予科練 平和記念館の特徴
映画しあわせのパンロケ地としての魅力があります。
零戦が展示されている外観の印象が強烈です。
美しい建物が立つ阿見町の歴史を学べます。
戦争の悲惨さを感じる事が出来ます!特に特攻隊は若い命が散っていきました…。館内は撮影禁止なので、ご自分の目で確認してください!
とても感慨深いものがありました。予科練航空隊への入隊は倍率73倍の超エリート。そのエリートや多くの国民の犠牲によって今の日本がある。日本人なのに知らないことだらけでした。生き残った予科練生や関係者の生の話しを映像で観ることができ、当時の資料をたくさん拝見しました。阿見町に寄った際は是非とも入館をお勧めですします。
20260205自転車で霞ヶ浦一周(カスイチ)を何回かしてますが、いつもこのそばを通っていて、一度はちゃんと中も拝見したい!と思っていましたが、今回ようやく実現✨まず、独特な形をした建物外観、そして中も洗練された作りになっていて、観覧意欲をかきたてます。予科練は海軍予科飛行練習生の略称で、海軍少年航空兵のことで、こちらにはその当時の少年兵たちの訓練や生活の様子、国民の生活の様子などを遺品や手記の展示、フィルム映像の上映などを通して戦中の様子を学べる博物館になっています。あいにく時間があまりなくて、ざっとしか拝見できませんでしたが、しっかり見学者するなら2~3時間はほしいですね。なかなかここまで保存状態がよくて、しっかりと戦時中の様子を伝える博物館ないです✨外にある人間魚雷「回天」と零戦のレプリカも秀逸で、ぜひ今の平和を今一度考えて、この博物館を訪れてほしいと思います。ありがとうございました!広い駐車場、サイクルスタンドあります🅿️
一昨年に続き2度目の訪問。耐震関係を含めてのリニューアル。予科練平和記念館と併設の土浦駐屯地隣の飛翔館、再訪問でしたが感銘しました。私たちは10時前に着きましたけれど、今回は観光バスツアーや来訪者で、帰るころには駐車場も満杯。若くして国のために命を捧げた予科練の方々や、それを支えた阿見町の方々の戦時中の頃を改めて感じました(施設内は撮影禁止)。飛翔館の柵を隔てて隣が陸上自衛隊土浦駐屯地。事前に予約すると、飛翔館の柵を隔てた土浦駐屯地武器学校が見学できるとのこと。なので霞ケ浦駐屯地広報センターとセットで見学したいと思っています。希望なんですが、館内にドリンク関係の自販機が皆無。施設内は窓が多く、館内の気温も高くなる時期があり、特に冬場に再訪したので、喉が渇いたのですが館内に給水機も無く、とてもその点は改善が必要と思いました。
零戦52型の実物大模型と回天の模型が見れます。隣の雄翔館と合わせて見る価値が有ります。雄翔館の前には10式、90式、74式、61式戦車等が柵越しに見えます。リックンランドまで行かなくても揃ってます。近寄れないのと柵越しなので子供は写真撮りにくいですが雄翔館の屋上からは写真撮り易いです。
通りがかりに訪問。入館料500円、駐車場は充分に確保されています。戦後80年が過ぎ、戦争の悲惨さを見聞きする機会が少なくなる中で、貴重な施設だと思います。特に若い方に見てほしいですね。
平日の午前中に訪問しました。入場料は大人500円でした。小学生の団体が多く訪れており、小学生に囲まれながらの見学となりました。予科練の入隊、訓練等七つのブースに分かれた展示はそれほど点数はないものの、それぞれの解説文を読んで、映像も観た場合、2時間程度かかる情報量かと思います。基地内での訓練の様子や生活がよく分かります。はとぽっぽと呼ばれる訓練機器ハンモックでの就寝や御用達の店での飲食等、興味深く見学させていただきました。特攻隊のみにフォーカスした施設ではないため、注意が必要です。特攻隊で戦死された方の展示が観たい場合は、隣接の自衛隊内にある雄翔館に行かれると良いでしょう。
東京靖國神社、遊就館とは ちょっと違う視点で見学させてもらいました。80年前の歴史?当時の青年?今の若い人たちに ぜひ見てもらいたいです。
予科練について学べる施設です。資料や服、道具など貴重な物を見学できます。親子で見て、それぞれの視点で「自分がこの時代に生まれていたら…」を話し合って平和って何?と考える材料にしてほしいと思います。
| 名前 |
阿見町 予科練 平和記念館 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
029-891-3344 |
| 営業時間 |
[土日火水木金] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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予科練平和記念館を見学して来ました予科練とは「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称で、第一次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まり、欧州列強に遅れまいとした旧海軍が、より若いうちから基礎訓練を行って熟練の搭乗員を多く育てようと、昭和5年に教育を開始しました。14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をするもので、飛行予科練習生制度が始まってから、終戦までの15年間で約24万人が入隊し、うち約2万4千人が飛行練習生課程を経て戦地へ赴きました。なかには特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の1万9千人にのぼりました。-HPより-